エネルギー代謝の専門家としての経験と知識を活かし、睡眠科学の研究に参入した徳山薫平氏。
エネルギー代謝や食欲と睡眠の深い関係、スムーズな眠りを誘発する照明環境などを紐解きながら、睡眠の観点をプラスした健康づくりについて考察します。
OECD(経済協力開発機構)の調査によると、調査対象33カ国の平均睡眠時間は8時間28分。一方、日本の平均睡眠時間は7時間22分で最下位となりました*1 。こちらは平均値ですので、仕事や家事に追われる社会人、勉強が忙しい学生さんなどには、「1日6時間くらいしか寝ていない」という方も多くいることでしょう。日本人は世界的に見て、目立って睡眠時間が短いのです。
睡眠を十分に取ると、疲労を回復するだけでなく、勉強やスポーツにおいて記憶を固定したり、技を習得したりする効果が得られます。メジャーリーグで活躍を続ける大谷翔平氏は、子どもの頃から現在に至るまで、たっぷりと寝ることを心がけているそうです。反対に睡眠不足になると、判断力が鈍り、仕事・スポーツ・勉強などのパフォーマンスは著しく低下してしまいます。筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構*2 (WPI-IIIS、以下、IIIS)の機構長である柳沢正史氏は、よく睡眠不足を酔っ払った状態に例えていますが、実に的を射ていると思います。最近は睡眠の質を上げることに注目が集まっていますが、まずは十分な睡眠を取ることを心がけていただきたいと思います。日本人は子どもも睡眠時間が短く、これは実に憂慮すべき事態。周囲の大人が子どもたちに「ちゃんと寝よう」と伝え続けることが大切です。
私のもともとの専門は、スポーツ科学や運動栄養学です。筑波大学において、世界最高水準の性能を持つ「ヒューマンカロリーメーター*3 」を使い、運動や食事とエネルギー代謝の関連を研究してきました。睡眠の研究を始めたのは、IIISから「睡眠中のエネルギー代謝がどうなっているか調べてみませんか」とお誘いをいただいたことがきっかけです。
人は、起きている間に1日分のエネルギーを摂取し、寝ている間は絶食します。つまり、昼と夜ではエネルギー代謝の様相が一変するわけです。しかし、睡眠中も含め1日を通してエネルギー代謝を計測した研究はそれまでにありませんでした。そこで私たちは、ヒューマンカロリーメーターの時間分解能を時間単位から分単位にまで高め、睡眠とエネルギー代謝の関係解明に挑みました。
図1は、ヒューマンカロリーメーターを用いて、延べ127人の1日のエネルギー代謝を連続して計測した結果です。

縦軸の呼吸商の値は、空腹時や安静時、有酸素運動時など脂肪を燃やしている時は小さくなり、食後、高強度の運動時など炭水化物を燃やしている時は大きくなります。値の振れ幅が大きいほど、代謝が柔軟に行われていることを示します。
計測の結果、睡眠中にエネルギー代謝の柔軟性の個人差が顕著に現れることが判明しました。また、被験者の年齢で比較すると、20代より30代の方が柔軟性が低下することもわかりました。今後、被験者層を広げていくと、睡眠時の代謝の柔軟性の低下が、肥満やメタボリックシンドロームの予兆や原因であることが判明するかもしれません。また、「代謝を良くして睡眠の質を高める」あるいは「睡眠の質を高めて代謝を良くする」といったアプローチの可能性も、追求していきたいと考えています。
図2は、睡眠と食欲調節ホルモンの関係です。

睡眠が不足すると食欲増進ホルモン「グレリン」が増え、食欲抑制ホルモン「レプチン」が減ります。すると、「無性にお腹が空く」「いくら食べても満足しない」といった状態が起こりやすくなります。人は起きている間に夜の分のエネルギーも蓄えようとするため、起きている時間が長くなると食欲が暴走し、摂取カロリーが増え、肥満を引き起こしやすくなるのです。皆さんも、睡眠不足の時になぜかカロリーが高い食べ物を欲してしまう経験があるのはないでしょうか。
一方、十分に睡眠を取れている場合は、食欲調節ホルモンは逆の動きになり、適量の食事で満足するようになります。2022年にアメリカで行われた研究でも、「睡眠不足で過体重の人が睡眠時間を延ばすだけで、エネルギー摂取量と体重が減る」という興味深いデータが示され、注目を集めています*4 。「痩せたいのになかなか痩せない」「食事制限が辛くていつもリバウンドしてしまう」という方は、色々なダイエット方法を試す前に、まず十分に寝ることを心がけていただければと思います。
私は、理想的な睡眠とは“自然な眠り”であると考えています。“自然な眠り”とは、夜になると眠気を促すホルモン「メラトニン」が分泌され、就寝の数時間前から深部体温が下がっていき、布団に入るとスムーズに眠りにつけるプロセス。そのためには、日中に適度に運動をしたり、寝る1〜2時間前に入浴して就寝に向けて体温が下がっていく状態をつくったりすることが効果的です。
なお、“自然な眠り”のために大切になるのが、睡眠前の照明環境です。国内外のさまざまな研究によって、強い光がメラトニンの分泌を抑え、深部体温の低下を妨げ、睡眠の質を下げてしまうことがわかっています。私たちの研究では、就寝前の4時間を眩しさが少ない有機EL照明の元で過ごした時と、輝度が高いLED照明の元で過ごした時の違いを分析しました*5 。結果、前者の方が睡眠中の深部体温が下がり、脂質の代謝が上がるというデータが得られています。
日本の住宅は、夜の時間を過ごすダイニングやリビングの照明が明るすぎて、“自然な眠り”を妨げてしまっている側面があります。ぜひ、自宅の照明環境を見直し、夜は間接照明で過ごすようにしたり、照明器具の照度を下げたりしてみてください。照明は簡単にコントロールしやすい部分ですので、ご家族で見直し、睡眠の質を上げていただければと存じます。
また、最近は睡眠の質を向上する成分や食品についても研究が進み、興味深いデータが出てきています。私たちの研究では、日中に烏龍茶を飲むことで睡眠時の脂肪燃焼が促進されることがわかりました*6 。私の教え子の研究では、クロロゲン酸類含有飲料を就寝10分前に飲用したところ、睡眠中の副交感神経が優位になり睡眠が深くなる結果が出ています*7 。ただし、こうした成分や食品はあくまで補足的なものです。まずは十分に睡眠を取ることや自然な眠りにつながる生活習慣を心がけ、プラスアルファとして取り入れることをおすすめします。
今、世界各国で睡眠の研究が進められています。しかし、収集したデータは所属団体や国の中にとどまり、世界中の研究者が活用できるビッグデータにはなっていません。ヒューマンカロリーメーターのアルゴリズム(計算処理モデル)も、各自が独自に発展させ、共有されていないのが実情です。私の今後の目標は、世界中の研究データやアルゴリズムを皆さんで活用できるベータベースにまとめること。さまざまな利害関係もあり困難が伴いますが、世界中の研究者が手を取り合うことで睡眠の研究は加速度的に進むと信じ、尽力してまいります。
図3は、「栄養・運動・休養」という健康づくりの3要素において、睡眠が果たす役割をまとめたものです。

このように、睡眠をしっかり取ることで運動や栄養に良い効果が生まれ、逆に睡眠不足だと運動や栄養にさまざまな弊害が生じます。保健師、栄養士といった健康指導をする立場の方にぜひお願いしたいのは、睡眠の重要性を伝えること。「健康的な食事をしてください」「適度な運動をしてください」といったアドバイスをする際に、「睡眠もしっかり取りましょう」と一言添えていただければ幸いです。