映画にみるヘルスケア

「HOKUSAI」
(橋本一監督、20年、日本)

「面白いものは誰が見ても面白い。絵は世の中を変えられる!」
  “画狂”北斎、絵への執念の写生リハビリで脳卒中を克服、健康長寿へ

映画・健康エッセイスト 小守 ケイ

 「腕は良いが、描きたい物しか描かない奴で…」。江戸時代後期、徳川幕府が町人文化を“堕落した娯楽”と見なし、絵や書物の版元、蔦屋を捜索した頃。弾圧下でも絵師や文士の発掘に励む店主の重三郎が文学修業中の番頭(後の馬琴*1 )に勧められ、30代の貧乏絵師、春朗のぼろ長屋を訪ねる。「うちで描かないか? 育ててやるぞ」。ムッとした春朗、「断る! 俺は人の指図では絵は描かん!」。

「やっと化けたな! お前しか描けない絵だ」

 「小判? 返さないと」。数日後、玄関の包みに気付いた春朗、慌てて吉原の蔦屋席へ。席には重三郎と歌麿、写楽がおり、彼にも酒や料理が供されるも「贅沢は口に合わん」。すると、歌麿が「坊さんみたいだ。だからお前の絵には色気や命が見えない」。押し黙った春朗は、花魁を描く歌麿の筆先を食い入るように見つめる……。

 “命の通った自分の絵”を模索する春朗、写生帖を手に野外へ。林野を抜け、富士山を臨む浜辺に出ると海に入って波をかぶり、その感触を描いて蔦屋に渡す。「波か! 人の心を打つ良い絵だ。号の北斎も良い。うちで描いてくれ」。お蔭で生活も安定した彼は結婚し、弟子も持った。

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「こんな体になった今こそ見える物も。勝負したい!」

 還暦も過ぎた北斎、妻亡き後は娘と住み、「富嶽三十六景」の制作や馬琴、種彦*2 の本の挿絵などで順調に過ごすも、町に突風が吹いた68歳の日、逃げ惑う人々の姿を描き取るうちに突然、呼吸が乱れ、眼が霞んで足もふらつく。「脳卒中で右半身麻痺」。右手が震えて筆や箸が持てず、薬を飲むにも娘や弟子達の助けが要る。

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 「その御体で旅に?」。厳しさが増した弾圧で歌麿は収監され、武家の種彦にも危険が及ぶ頃、70歳の北斎は一人、自然の中へ。左手に持った杖で右脚をかばい、右手をダラリと下げ、体を歪めて山道を上り、海辺では朝陽で真っ赤に染まった富士山を写生。歩くうちに麻痺も軽減するも、江戸では種彦斬首の報が! それを「生首図」に描いた北斎、「この絵を江戸に置くのは危険だ」と、82歳で絵を預けに娘と共に信州小布施へ。

  • * 1 滝沢馬琴:代表作『南総里見八犬伝』
  • * 2 柳亭種彦:代表作『偐(にせ)紫田舎源氏』

映画の見所

 元弟子が用意した小布施の画室。北斎は江戸の自宅と往復しながら、若き日に得た波をモチーフに「怒涛図」を仕上げて逝った。享年90歳。
 ゴッホにも影響を与えた北斎が果敢に自分の絵を追求した生涯を描く映画。北斎の青年期を柳楽優弥、老年期を田中泯が演じ、その他、阿部寛(重三郎)、玉木宏(歌麿)、永山瑛太(種彦)等が出演する。

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北斎が教える長寿の秘訣

【監修】 公益財団法人結核予防会 理事 総合健診推進センター 所長 宮崎 滋
 脳卒中には脳出血と脳梗塞がありますが、昔の日本人に脳出血が多かったのは、糖質が主で蛋白、脂質が少なく、塩分の多い食生活が原因です。北斎は68歳で脳卒中を発症しましたが、その後名作を残しているので、小さい脳出血だった為回復したと思われます。発症時の視野の歪みは脳圧亢進の為です。
 北斎は脳卒中を罹患しましたが、平均寿命が40~50歳の江戸時代に90歳の死亡直前まで絵を描き続け、健康寿命を保ちました。若い時から酒も煙草もやらず、大食、美食もせず、玄米や蕎麦を好み、柚子を酒に浸した薬を自ら作るなど、良い食習慣を維持し、加えて「富嶽三十六景」など風景画を描く為に各地を歩き回ったのが運動療法となったと考えられます。北斎は長寿の条件である“生きる目標、健康な食事と運動”を兼ね備えた超高齢化社会でのよき模範と言えます。

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