オーラルケアにおいて、行動を変容させるためには何が必要なのでしょうか。口腔ケア専門サロンで一人ひとりの口腔の健康と向き合う前田奈美氏に、行動変容を促すための工夫や、予防に興味を持ってもらうためのポイント、健やかな口腔環境をつくるために重要なホームケアについて伺いました。
幼い頃の私は、むし歯の治療に強い恐怖心があり、歯医者さんが大嫌いでした。そんな中、乳歯が生え変わる頃に転院した歯科医院は、無理に治療を進めるのではなく、優しく見守り、できたことをしっかりほめてくれました。子どもながらに「こんなにも違うのか」と感じて自然と通うようになり、永久歯は高校卒業までむし歯ゼロを保つことができました。この経験と、人に喜ばれる仕事に就きたいという思いから、歯科衛生士を志しました。ところが、歯科衛生士を目指していた専門学生時代に、むし歯ができてしまいました。その原因が甘いミルクティーを飲みながら勉強していたことだとわかり、生活習慣がむし歯リスクになることを身をもって理解し、一人ひとりの生活に合わせて予防を考える重要性を痛感しました。
2021年にOral care salon Lyckaを開設した背景には、スウェーデンのマルメ大学での研修があります。スウェーデンでは、治療ではなく予防と教育を目的とした国が運営する施設「歯磨きクリニック」が根づいていました。そこでは「デンタルナース*1 」が中心となって、子どもや保護者に対して、リスク確認や食生活の指導などを行っていました。一方、日本では1歳半健診や3歳児健診といった機会はあるものの、一人ひとりに寄り添った継続的な予防教育の場はほとんどありません。そこで、まずは大人が正しい知識を身につけ、その知識を家庭で子どもたちに広げていくことから取り組もうと考え、Lyckaを立ち上げました(図1)。

Lyckaでは、予防に関心のない方にも自然に意識が向くような“入口づくり”を心がけています。まずはホワイトニングなど美容をきっかけにサロンを訪れてもらい、そこから予防の知識や習慣へとつなげていければと考えています。
実際のケアプログラムでは、毎回必ず唾液検査を行い、口内細菌を顕微鏡で見てもらいます(図2)。

口腔内は腸内環境と同じように、その人ごとの細菌のバランスがあります。菌の種類や活動性、バイオフィルム*2 の成熟度を確認することで「むし歯になりやすいか」「歯周病になりやすいか」といったリスクが見えてきます。何より、自分の口の中を実際に見ることで、多くの方が強い関心を持たれます。細菌は、歯の表面に付着してから約24時間で増殖し、時間をかけて成熟していくため、日々のケアが重要です。こうした仕組みを伝え、1日1回しっかりケアすることによってリスクをコントロールできることをお話しします。こうした“見える化”は、行動変容につながりやすいと感じています。
お子さんに対しては、顕微鏡で細菌を見てもらいながら「これは食べかすではなく、細菌のかたまりなんだよ」と説明します。「洗っていない食器をそのまま使い続けているのと同じ状態だよ」といったイメージしやすい伝え方を意識しています。子どもは体験型・実験的に伝えることで理解が深まり、興味を持って取り組むようになります。
オーラルケアで大切なのは、一人ひとりに合った方法を見つけること。Lyckaでは、できるだけシンプルかつ効率的で、無理なく続けられるホームケアの提案を目指しています。例えば、毛量が多くワンストロークで汚れが落とせる歯ブラシや、歯ぐきを傷つけにくい歯間ブラシを選ぶことで、効率的なケアができます。適切な方法なら、強くこすったり何度も繰り返さなくても、健康な口腔環境を維持することは十分可能です。
適切なホームケアを行うことで、短期間で口腔環境が改善することも少なくありません。「自分に合ったホームケアをすれば変わる」という成功体験は、継続の原動力になります。また、歯磨きは汚れを落とすだけでなく、歯や歯ぐきを傷つけないことも重要です。そのため、動かし方や力加減といった感覚面の指導については、手を添えて伝えるなど工夫して、ホームケアの質の向上につなげています。
ちなみにわが家では「これだけは必ず行う」というシンプルなルールでホームケアを行っています。1日1回のフロスと1日最低2回のフッ化物配合ハミガキの使用によるブラッシングを基本とし、食後は洗口剤を使ったうがいやキシリトールガムで口腔内をリセットします。ガムは唾液分泌を促すと同時に「食事の終わり」の区切りとなり、だらだら食べの防止にもつながります。さらに、子どもが寝る前に空腹を感じている場合には、チーズや牛乳など、むし歯リスクの低い食品を選ぶようにしています。制限するのではなく、安心して選べる代替手段を用意することで、無理なく続けることができます。
家族で一緒にホームケアに取り組むことも重要です。親が積極的に取り組む姿を見せることで、家庭全体に共通の価値観が生まれます。また、特に子どもは“ながら磨き”も多いですが、正しい感覚が身についていれば一定の効果は期待できます。そのため一律に否定せず、不足部分に目を向けて声かけを行っています。
日本でも、2025年から年に1度の歯科健診が推奨されるようになりましたが、「予防」や「メンテナンス」という視点はまだ十分ではありません。今後は、一人ひとりのリスクや生活習慣に応じた継続的な予防支援がより重要になるでしょう。
予防に向けた取り組みは歯科だけで完結するものではなく、さまざまな分野との連携が欠かせません。食生活を含めた生活習慣全体を見直すことで、口腔と全身の健康を同時に守ることができます。特に栄養指導と連携することで、より無理なく自然に健康へと導くことが可能になり、これがゼロ次予防*3 の実現につながると考えています。栄養や身体の仕組みを伝える専門職の方々と、口腔ケアを担う歯科衛生士が連携することで、多くの方の生活や健康が変わっていくはずです。だからこそ、こうした取り組みをともに広げていける仲間が増えることを願うとともに、今回の記事が予防の考え方や実践を広げるきっかけになれば嬉しいです。