花王株式会社(社長・長谷部佳宏)パーソナルヘルスケア研究所、生物科学研究所、解析科学研究所と京都府立医科大学大学院医学研究科 廣瀬亮平助教らの研究グループは、手指に生来備わる「感染症に対するバリア機能(手指バリア)*1 」のメカニズムを模倣することで、手肌に負荷なく、高い抗菌・抗ウイルス効果を持続させる技術の開発に成功しました。この技術は、既存の手指衛生行動の合間に使用することで、医療現場や日常生活において、無意識に生じる接触感染のリスクを低減することに寄与することが期待されます。
今回の研究成果は、環境科学の学術誌Environmental Technology & Innovationにオンライン公開されました*2 。
手指表面を介して菌やウイルス等の病原体がうつる「接触感染」は、さまざまな感染症における伝播の主要な経路のひとつです。接触感染を予防するためには、手洗いや消毒といった既存の手指衛生行動が推奨されています。しかしながら、日常生活では無意識のうちにさまざまな物に触れる機会も多く、目に見えない菌やウイルスに触れたタイミングで適切に手指衛生行動を実践することは簡単ではありません。
一方、ヒトの手指には、さまざまな菌やウイルスに対する高いバリア機能が恒常的に備わっていることが知られていましたが、その詳細は明らかにされていませんでした。花王は、この手指バリア機能に着目した研究を進め、感染症にかかりにくい群は、かかりやすい群に比べて手指の皮膚表面上の抗菌・抗ウイルス活性が高いことを初めて明らかにしました*3 。また、その理由として、汗腺から分泌される汗中の乳酸が、手指表面の弱酸性環境において菌の内部に侵入することにより効果を示すことや、手指皮膚表面の温度が高いほど乳酸が菌の細胞膜を透過しやすいことを見いだしました*4 。
花王は、これまでの知見に基づき、ヒトが本来有している菌やウイルスに対する皮膚表面上のバリア機能を高める製剤への応用をめざしました。製剤は、菌やウイルスに作用する乳酸を含有し、手指表面を弱酸性環境に保つため酸性(pH = 4.0)で、皮膚に塗布することを前提としました。基材となる界面活性剤には、スクリーニングの結果、酸性条件で安定するポリオキシエチレンアルキルエーテルを選択しました。乳酸を菌の細胞膜に通過しやすくする条件の検討を重ねた結果、オキシエチレン基(EO)の数が少ないほど細胞膜の流動性の指標であるGP-Value*5 が低く、乳酸が細胞膜を通過しやすい状態になること、さらに乳酸との混合物を用いた場合のセラチア菌に対する抗菌活性*6 も高くなることが明らかとなりました(図1)。
被験者4名の前腕で臨床試験を行い、通常の手指消毒剤が使用時で推奨される条件(皮膚1cm2あたり3μL)で手指バリアプロト製剤を塗布した場合に、セラチア菌に対する抗菌の効果が持続するかを検討しました。その結果、手指バリアプロト製剤塗布120分後の皮膚表面において、抗菌活性は未塗布時に対して有意に高く維持していました(図2)。
本結果は、今回開発した手指バリアプロト製剤が、実使用場面においても皮膚表面の感染に対するバリア機能を高く維持し、接触感染リスクを低減する可能性を示しています。
新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスの感染力の評価について、ヒトを対象とする臨床試験は、感染リスクがあるため困難です。そこで、共同研究先の京都府立医科大学で開発されたヒト皮膚組織を用いたモデル皮膚評価系*7 にて菌やウイルスの生存時間への効果を評価しました。
その結果、手指バリアプロト製剤の塗布により、セラチア菌、新型コロナウイルス、インフルエンザウイルスの生存時間がそれぞれ284 時間から9時間、10.8時間から0.3時間、1.8時間から0.2時間と大幅に短縮されることを確認しました(図3)。
本研究から、ヒトが生来持つ菌やウイルスに対する手指バリア機能を補うために、乳酸とポリオキシエチレンアルキルエーテルが有効であることを見いだしました。また、これらを含む手指バリアプロト製剤を塗布することにより、皮膚表面を菌やウイルスが不活性化されやすい環境に変えることを明らかとしました。
本製剤を手洗い後などに習慣的に手指に塗布することで、従来の手指衛生を補う役割を果たし、無意識に生じる接触感染のリスク低減につながることが期待されます。
今後も、手指をはじめとする菌やウイルスに対するバリア機能について研究を深めるとともに、実用化について検討し、新しい衛生習慣の提案を通じて、人々を感染症から守ることに貢献していきます。