花王株式会社(社長・長谷部佳宏)パーソナルヘルスケア研究所は、国立研究開発法人理化学研究所脳神経科学研究センター 知覚神経回路機構研究チームと共同で、表面張力の低い界面活性剤水溶液を蚊に付着させることで、蚊の飛行行動を妨げ、さらにはノックダウン状態にさせられることを見いだしました。この知見を応用し、界面活性剤水溶液をミスト状にして蚊に噴霧するだけで、簡単に蚊を駆除できる技術を開発しました。
今回の研究成果は、Nature Researchの電子ジャーナルScientific Reports*1 に掲載され、6th Asia Dengue Summit 2023(2023年6月15~16日、バンコク)にて発表しました。
蚊は、デング熱やマラリアなどの重篤な感染症を媒介します。中でもデング熱は、近年の地球温暖化や急速な都市化等により蚊の生育環境が拡大していることから世界で感染者が増えており、多くの人々に深刻な被害をもたらしています。
蚊が媒介する感染症の拡大を抑えるためには、治療薬の開発、ワクチンや蚊よけ剤による予防に加えて、蚊を駆除すること自体が有効な手段で、感染症が蔓延する多くの地域でピレスロイド類を用いた殺虫剤が使用されています。一方で近年、ピレスロイド類に対する抵抗性を持ち、殺虫剤で死なない蚊が増加していることが東南アジアなどで確認されており、持続的に使用できるさまざまな駆除方法の開発が求められています。
花王は今回、「蚊の飛行を妨げる、飛べなくする」ことをめざして技術開発に取り組みました。そこで注目したのが、蚊の体表面や羽です。蚊の体の表面(図1)は、非常に細かい凹凸のある構造でワックスなどの疎水性の成分で覆われており、極めて水になじみにくいという特徴があります。そのため、蚊の羽や体の表面は水をはじき、雨でもぬれることなく、水場で産卵・羽化することができます。
2020年に花王は、蚊の脚をシリコーンオイルでぬらすことによって、肌への降着を抑制し、蚊に刺されなくする技術を開発しました*2 。この知見から、蚊の体や羽をぬらすことで蚊の飛行行動を変えられるのではないかと考え、今回その最適な手段として界面活性剤に着目しました。
界面活性剤は、物質と物質の境界面(界面)に作用して性質を変化させるという働きがあります。たとえば水と油の界面に界面活性剤が作用すると、本来なら混じり合わない水と油を混ぜ合わせることができます。同様に、水に界面活性剤を添加すると、その水溶液の表面張力は低下し、水をはじく表面にもなじみやすくなります。
花王は、このような界面活性剤の性質を利用することで、水になじみにくい疎水的な蚊の体の表面をぬらすことができるようになることを見いだしました。さらにさまざまな界面活性剤水溶液を比較検討した結果、表面張力低下能の高い界面活性剤を用いると、効率的に蚊の表面をぬらすことができることがわかりました(図2)。
水を蚊に噴霧しても、蚊は水をはじくため飛行行動に影響が出ることはありません。しかし、効率的に蚊の表面をぬらすことができる界面活性剤水溶液は、ミスト状に噴霧して吹きかけるだけで簡単に蚊を落下させることができることを発見しました。
水あるいは界面活性剤水溶液を付着させた時の蚊の羽ばたきの様子を、理化学研究所と解析しました(図3)。飛行中の蚊に水を付着させた場合には、羽で水をはじくことができるため、蚊は飛行を続けることができます。一方で界面活性剤水溶液を付着させると、羽がぬれて動かすことができなくなることが確認できました。蚊は他の飛翔昆虫と比べて速い羽ばたきにより、正確な飛行と姿勢を維持しています。界面活性剤水溶液は、蚊の羽や体をすばやく覆うため、蚊が正確な飛行行動をとることができなくなり落下する可能性が考えられます。
さらに、表面張力がより低い液体を蚊に付着させることで、蚊をノックダウン状態にまで至らせることができることがわかりました(図4)。昆虫は気門(図1)と呼ばれる体表面の穴を通して酸素を含む空気を取り込みます。いくつかの昆虫では、気門がふさがれてしまうと死ぬことが知られています。表面張力が非常に低い液体が付着した場合も、気門を通じた酸素の取り込みができなくなるためノックダウン状態を引き起こすと考えられます。
以上のような、界面活性剤水溶液によって蚊がぬれるという性質を利用した殺虫方法は、ピレスロイド類による殺虫メカニズムとは全く異なります。蚊の体が水をはじくという性質は蚊の生存に必須であるため、蚊の体をぬらすという物理的な殺虫方法は抵抗性を獲得しにくいことが予測されます。
花王は、これまで培ってきた界面科学の知見と蚊の行動、体表面の観察から、界面活性剤を用いることで蚊をぬらして駆除できることを発見しました。界面活性剤による物理的殺虫技術は、従来のピレスロイド類をはじめとする殺虫剤とは異なる作用機序を持つため、抵抗性を獲得しにくいと考えられ、蚊の駆除へ持続的に利用できることが期待されます。今後、本技術を実装することで、蚊媒介感染症から人々を守ることに貢献していきたいと考えます。