発表資料: 2025年05月15日

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インクルーシブ・ウォークスルー調査の実践

ウェブアクセシビリティ対応後のユーザー体験調査

花王グループでは、国内のウェブサイトにおいて、アクセシビリティの対応を進めています。今後は、ガイドラインをもとにした取り組みに加え、実際のユーザー体験に目を向け、さらなる改善を重ねていく段階に入ります。
その第一歩として、当事者自身が評価者となり、実体験をもとにウェブサイトの使いやすさを評価する新たな調査手法「インクルーシブ・ウォークスルー調査」を実施しました。本記事では、調査の目的や手法、得られた気づき、そして今後の改善にどのようにつなげていくかをご紹介します。

1. 調査の背景と目的​

花王グループでは、2020年よりウェブアクセシビリティの対応を段階的に進めてきました。2024年現在では、ブランドサイトの約90%がWCAG* 2.1 レベルAAに対応しており、ガイドラインに基づく実装は一定の水準に達しています。
こうした取り組みの次の課題として、アクセシビリティが実際のユーザーにとってどのように機能しているかを検証する必要性が高まっています。体験の質に関する評価は、アクセシビリティを継続的に実践していくうえで欠かせない視点です。

そこで今回は、ウェブアクセシビリティの実態を多様なユーザーの視点から把握する新たなアプローチとして、独自の評価手法「インクルーシブ・ウォークスルー調査」を実施しました。調査には、全盲(先天性・後天性)、ロービジョン、色覚多様性、上肢不自由、高齢者のユーザーに参加いただき、実際の操作シナリオに沿ってウェブサイトを体験・評価してもらいました。
実際の操作を通じて得られたフィードバックには、ガイドラインの達成状況だけでは見えてこない課題に加え、改善のヒントとなる前向きな気付きが多く含まれていました。

本調査は、ユーザーの体験を通じてウェブサイトの実際の使われ方を確認し、アクセシビリティの質を継続的に高めていくための出発点となるものです。次章では、その調査をどのように設計し、実施したのかについてご紹介します。

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    WCAG:正式名称Web Content Accessibility Guidelines。 ウェブコンテンツのアクセシビリティに関する国際的なガイドライン。

2. 調査方法

「インクルーシブ・ウォークスルー調査」は、専門家や制作者の視点だけでは捉えきれない実際の使われ方に注目し、ユーザーとともにウェブサイトのアクセシビリティを見直すことを目的としています。
今回の調査では、全盲(先天性・後天性)、ロービション、色覚多様性、上肢不自由、高齢者といった、多様な捉え方・使い方を持つ6名のユーザーの方々にご協力いただきました。

調査参加者の属性と背景情報

本調査のユーザーの属性と背景情報をまとめた表。内容を記載したテキストファイルは、後に続く「調査参加者の属性と背景情報 ダウンロードテキストファイル」というリンクより確認できます。

「調査参加者の属性と背景情報」の表で表現した情報を、テキストファイルとして提供いたします。

調査では、情報を探す、商品を選ぶ、購入を検討するといった、日常的な行動を想定した3つのシナリオを設定。ユーザーにはこれらのシナリオに沿って実際にサイトを操作していただき、その様子を観察しました。
操作中の負担を軽減するため、観察者の人数を最小限にとどめ、できる限り普段と同じような環境での体験となるよう配慮しました。
また、調査中は画面収録・音声記録・俯瞰カメラなどを用いて、操作の流れやその場の発話を丁寧に記録。体験後には振り返りインタビューを行い、ユーザーがどのように判断し、どこでつまずいたかといった背景までヒアリングしました。

この調査は、ユーザーの体験をただ観察するのではなく、その場での言葉や行動を通じて一緒に考え、学んでいくという姿勢で行いました。得られたフィードバックの中には、「課題」として一言で片付けられないような、さまざまな気づきや違和感の断片が含まれていました。

調査の流れ

事前インタビュー、体験、事後インタビューという流れ。体験には、情報を探す、製品を選ぶ、購入を検討する、という 3つが含まれる。

インクルーシブ・ウォークスルー調査とは

ウォークスルー調査とは、商品やウェブサイトなどを評価者が実際に体験し、その様子や発話を観察・記録する調査手法です。一般的には、専門家がユーザーになりきって評価を行います。
それに対して「インクルーシブ・ウォークスルー調査」は、実際の当事者が評価者として参加し、自らの視点で使いやすさや伝わりにくさをフィードバックします。これにより、専門家による技術的な評価とは異なり、ユーザーが実際に体験する問題や、アクセシビリティの具体的な課題をよりリアルな状況で発見することができます。
この調査手法を「調査実施者の視点」、「リサーチの目的」の2軸で整理すると、「図・インクルーシブ・ウォークスルー調査の位置付け」のように示すことができます。

「インクルーシブ・ウォークスルー調査」の特長は、ユーザーが「評価対象者」ではなく、「評価の担い手」であること、そして制作者とともに気づきを生み出す「共創者」として位置づけられている点にあります。
これにより、ガイドラインに沿った従来の評価だけでは気づかなかった、新たな課題やニーズを発見することが可能となり、ウェブアクセシビリティの向上に向けた具体的な改善策を導き出すことができます。

インクルーシブウォークスルー調査と、それ以外の調査手法4つとの位置付けを示す図。 専門家による検証を進める「WCAGに基づいた診断」、専門家による発見・探索を得る「ウォークスルー調査」、ユーザによる検証を進める「ユーザーテスト」、ユーザによる発見・対策を得る「インタビュー」がある。 インクルーシブウォークスルーは、「ユーザーテスト」と「インタビュー」の中間に位置付けられ、ユーザによる検証を経て発見・探索を得る。

図・インクルーシブ・ウォークスルー調査の位置付け

3. 調査結果:「アクセスできる」ことの先にある体験の質とは

今回のインクルーシブ・ウォークスルー調査では、ウェブアクセシビリティの対応を進めてきたブランドサイトを対象に、6名のユーザーが、それぞれの環境(音声読み上げ、点字ディスプレイ、拡大表示、色覚多様性、片手操作、スマートフォンの利用など)で実際の操作シナリオに沿ってウェブサイトを体験・評価しました。
その中で見えてきたのは、「技術的にアクセスできること」と「実際に意味が伝わり、目的が達成されること」は同じではないという事実です。ここでは、調査から得られた3つの視点をご紹介します。

誰もが「読み飛ばし」ながら探している

先天性全盲ユーザーは、ページを開いた直後にページ全体を一度読み上げ「このあたりに目的の情報がありそう」と判断し、見出しジャンプ機能を使って情報の探索を行っていました。

スクリーンリーダーでの情報探索(先天性全盲ユーザー)

音声読み上げ機能を活用し、見出しだけをたどりながら目的の情報を探す場面。ページ構造や見出しのわかりやすさが、使いやすさに直結している様子が伝わる。​

点字ディスプレイでの操作(先天性全盲ユーザー)

点字ディスプレイの動きを解説。ウェブサイトの情報を、音声だけでなく指先でなぞるようにして触覚でも「読む」様子がわかる。

これは、視覚ユーザーがページ全体をざっと眺め、見出しや画像の配置から「ここにありそう」と目星をつける行動と本質的に同じです。つまり、手段(視覚・聴覚・触覚)は異なっても、「構造を手がかりに、必要な情報を読み飛ばしながら探す」という行動はすべてのユーザーに共通していました。
一方で、聴覚や触覚による探索は時間がかかり、構造が不明瞭な場合には、著しく負荷が高まります。情報の順序や構造が曖昧だと、「最後まで聞かないと分からない」「必要な情報にたどりつけない」といった課題が浮かび上がります。

ビジュアル情報の「意味」は誰に届いているか

商品画像や動画、色分けによる強調などは、商品の魅力やブランドメッセージを伝える手段として広く使われています。しかし視覚情報に頼らないユーザーには、そうした表現の意図が伝わりにくい場合があります。
後天性全盲ユーザーは、「動画があるのはわかるけど、音楽だけなので見る意味がない」と再生を避けました。ナレーションや説明が含まれていない動画は、音声を使って利用する人にとっては伝わる情報を持たない「飾り」のように受け取られてしまうことがあります。
また、 D型色覚ユーザーからは「色で区別されている内容は、意味がつかみにくい」「たくさんの色を使われると、どれが違うのかわかりにくく、無意識に避けてしまう」といった声もありました。​

色の種類が多ければ多いほど、見にくさにつながる(色覚D型ユーザー)

複数の色で情報を分類するデザインに対し、「どれが違うのか」が把握できず、意味が伝わらないと語るインタビュー。

一方で、ロービジョンユーザーからは「文字よりも、パッと見てわかる画像のほうが情報の手がかりになる」といった意見がありました。高齢者においても、パッケージ写真などのビジュアルを手がかりに商品情報を得ている様子が観察され、画像が理解を助ける場面も見られました。

このように、「画像や動画がアクセスできるか」だけでなく、「意味を持って伝わるかどうか」がアクセシビリティにおいて重要であることが見えてきます。そして、その意味が成立する条件は、ユーザーの捉え方や認知のしかた、操作環境によって大きく異なります。​
単に代替テキストを加える、動画に字幕をつけるといった対応にとどまらず、色に頼らない情報設計や、音声・触覚・テキストなどが互いを補完し合う構成など、「複数の手がかり」で伝える工夫が求められます。「誰にとって、どのように伝わるか」を問い直すこと。この視点がいかに重要か、今回の調査で改めて気づかされました。

情報の「量」と「構造」が使いやすさを左右する​

多くのユーザーが「必要な情報を探し当てること、そのものが難しい」と感じていました。原因は単なる情報量ではなく、「どこに何があるのか」「どの順番で提示されているのか」がわかりにくいことにありました。

たとえば、柔軟剤の有無を確認しようとした後天性全盲ユーザーは、情報が見つからなかったため「書かれていない=入っていない」と解釈し、判断を下していました。
ロービジョンユーザーや高齢者、操作に制約がある上肢不自由のユーザーからは、「どこに何があるのかがわからず、情報を探すのに時間がかかる」「画面を行ったり来たりするのがつらい」「上にもどるのが面倒」といったような、心理的・身体的負担の声があがりました。​単に情報量の問題だけではなく、情報のまとまりや配置が不明確なことなどが「読む」「探す」ことそのものを困難にしているということがわかります。

スマートフォンでの読み上げ体験(後天性全盲ユーザー)

目的の情報を探すためにサイト内を行き来するが、構造が不明確なため断念する場面。情報の整理と配置の重要性が伝わる。​

情報の「量」と「構造」は、視覚的な障害や操作上の制約にかかわらず、すべてのユーザーの体験の質を左右します。​
視覚ユーザーであっても、「どこに書いてあるかわからない」「同じ情報が何度も出てきて混乱する」といった例は少なくありません。これは、ウェブアクセシビリティの問題であると同時に、ユーザー体験全体に関わる設計上の課題であることが、今回の調査から改めて明らかになりました。​

4. まとめ:ユーザー体験から学ぶ、これからのアクセシビリティ​

今回の調査で明らかになったのは、「アクセスできる状態」にあっても、情報が適切に伝わらず、目的の行動につながらないケースが多く存在するという点です。実際の操作を通じて、情報が届かない、見つからない、理解できないといった具体的な障壁が数多く確認されました。
さらに、ガイドラインを満たしていても、それが「伝わる体験」に直結するわけではないという課題も改めて確認されました。

花王グループでは、WCAG2.1レベルAA相当の技術対応を進めてきましたが、それを「完成」ではなく「出発点」と捉えています。ウェブアクセシビリティは、基準を満たすことだけでなく、誰が、どのように、何を伝えたいのか、受け取りたいのかという「情報の届け方そのもの」を設計することが求められます。

今回のインクルーシブ・ウォークスルー調査を通じて、ユーザーの声から、アクセシビリティの本質についてあらためて多くの学びを得ることができました。今後も、実際の使われ方に目を向けながら、アクセシビリティを「体験の質」として高めていく取り組みを続けていきます。

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