発表資料:2023年09月13日

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「ムスクの香り」を網羅的に認識する嗅覚受容体の発見
~化学構造からムスク香料の高精度な予測が可能に~

花王株式会社(社長・長谷部佳宏)感覚科学研究所・マテリアルサイエンス研究所は、米デューク大学松波宏明教授の研究指導のもと、ムスクの香りを網羅的に認識する嗅覚受容体OR5A2を発見しました。さらに、OR5A2が認識した香料としなかった香料の化学構造情報から機械学習モデルを構築し、ある物質がムスクの香りを感じさせるものであるかどうかを優れた精度で予測することを可能にしました。

ムスク香料を網羅的に認識する嗅覚受容体OR5A2を発見し、ある物質がムスク香料かを簡便かつ高精度に判別することが可能になりました。

ムスク香料を網羅的に認識する嗅覚受容体の発見とムスク香料予測モデルの構築

今回の研究成果は、米国のCell Pressが発行する学術誌Current Biology*1 に掲載され、日本味と匂学会(2023年9月11~13日、東京都)にて発表しました。

ムスクの香りについて

ムスクの香りは柔らかで深みのある甘さを持ち、フローラルやウッディーの香りと同様に大変重要なものです。これまで数十種類のムスク香料が見出され、さまざまな用途に利用されてきました。
一般的に、化学構造がよく似た香料は嗅いだ際の香りも類似することから、目的の香りがする新しい香料を探す際には、化学構造を手がかりにすることが有効です。しかし、ムスク香料は化学構造から、4つのグループに大別されるものの(図1)、ムスクの香りを感じさせるために重要な化学構造と嗅覚のしくみは長年の疑問で、ムスクの香りがするかどうかは、まだ香りが知られていない物質を化学合成して嗅いで評価するほかに手段がありませんでした。

多様な化学構造を有するムスク香料

図1 多様な化学構造を有するムスク香料

香りを認識する嗅覚受容体の研究

ヒトの鼻には約400種類の嗅覚受容体が存在し、香りのセンサーとして働いています。それぞれの嗅覚受容体は特定の種類の揮発性物質を認識し、その情報が脳に伝わると、ヒトは香りとして認識することができます。ただし、嗅覚受容体の機能解析は難しく、未だにほとんどの嗅覚受容体がどのような香りを認識するものであるのかは不明です。
今回花王は、多様な化学構造を持つ香料がムスクの香りと認識される手がかりとして、嗅覚受容体に着目しました。これまでに、ムスクの香りを認識する嗅覚受容体としてはOR5AN1が見いだされていますが、OR5AN1は4つのグループのうち2つ(大環状ムスクとニトロムスク)しか認識できません。4つのグループを網羅的に認識する受容体を特定できれば、香りの質、安全性、コスト、サステナビリティ等の面において優れた新しいムスク香料を開発できる可能性があります。さらに、ヒトが感じる香りの種類が嗅覚受容体を介してどのように生み出されているのかという嗅覚の本質についての理解も深まると考えます。

嗅覚受容体を効率よく培養細胞に発現させる方法を確立

一般的に嗅覚受容体の解析には培養細胞を使用しますが、多くの嗅覚受容体は培養細胞の中で不安定なタンパク質となり、細胞表面で正しく働くことができません。そのために、培養細胞の外側から香料を投与して、嗅覚受容体が反応するのかを調べる実験は困難だとされてきました。このことが、約400種類の嗅覚受容体のほとんどが、未だ機能がわからないことの原因だと考えられています。
この課題を解決するために、本研究ではタンパク質工学的なアプローチを取り入れました。つまり、解析したいヒト嗅覚受容体の一部のアミノ酸を、ヒト以外の多くの生物種の嗅覚受容体で共通しているアミノ酸に置き換える改変を行いました。これにより、嗅覚受容体を安定的なタンパク質として培養細胞の表面につくらせることに成功しました(図2)。

ヒトの嗅覚受容体のアミノ酸配列を多くの生物種に共通のアミノ酸に置き換えることで、培養細胞の膜の表面に受容体が発現することに成功しました。

図2 培養細胞で嗅覚受容体を解析可能にするための工夫

ムスク香料を網羅的に認識し、香りを感じさせる嗅覚受容体を発見

嗅覚受容体を安定的に発現させた細胞にさまざまなムスク香料を添加し、応答する嗅覚受容体を探した結果、OR5A2はこれまで認識する受容体が見つかっていなかった多環式ムスクや脂環式ムスクを含め、4グループのムスク香料を認識する受容体である可能性を見いだしました(図3)。最終的に化学構造の異なる56種類の香料に対する応答性として、28種類のムスク香料すべてを認識し、ムスクの香りを呈さない28香料には反応しないことを確認しました。以上の結果より、OR5A2はムスク香料を網羅的に認識可能な、ムスクの香りを感じさせることに寄与する嗅覚受容体であることがわかりました。

嗅覚受容体OR5A2を発現している細胞は4グループ全てのムスク香料を認識しました。

図3 細胞膜に発現させた嗅覚受容体OR5A2のムスク香料に対する応答性

嗅覚受容体OR5A2の反応に基づく機械学習モデルを構築し、ムスク香料の予測を可能に

花王は、OR5A2が認識した20香料と認識しなかった27香料の化学構造情報を用いて機械学習モデルを作製*2 しました。このモデルの判別性能である曲線下面積*3 は0.945と高く(正答率:約96%)、学習に使用しなかったムスク香料も優れた精度で判別可能でした。これらの結果は、OR5A2の認識に基づく本機械学習モデルがムスクの香りがする新しい香料素材を探索する上で有用である可能性があります。

  • * 2 Morganフィンガープリントという化合物の部分構造の有無に基づく指標を機械学習に用い、対象とするデータがどちらの教師データグループに属するものなのかを判定するNaive Bayesアルゴリズムを使用しました。
  • * 3 機械学習モデルの予測の性能を表す指標。曲線下面積が1.0に近いほど予測モデルの性能が高いことを意味し、一般的には0.8以上の値が優れていると見なされます。

まとめ

今回、さまざまな化学構造を持ちながら同じようにムスクの香りを感じる香料を網羅的に認識する嗅覚受容体OR5A2を発見しました。さらにOR5A2の認識に基づき、機械学習モデルを構築し、化学構造からムスクの香りを高精度に判別することを可能としました。
また、嗅覚受容体を解析可能にするために本研究で確立した方法は、今後より多数の嗅覚受容体の役割を理解する上で有効な手段になる可能性があります。今後も花王は特定の香り感覚にキーとなる嗅覚受容体について理解を深めてまいります。

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