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NEWS PICKS Brand Design 論文で読み解く最新科学#01 蚊に刺されないと、世界はどう変わる? 解説 森永卓郎・森永康平 経済アナリスト

  • #蚊 #デング熱 #感染症制御 #忌避 #SDGs

【森永親子が解説】蚊の脚を“引っぱる”技術が世界経済や幸福度にもたらすもの

  • 2022/3/23 | NewsPicks Brand Design

新シリーズ【論文で読み解く最新科学】がスタート。第1回は花王の「蚊の忌避研究の論文」だ。花王ならではの“社会課題に徹底的に向き合う技術魂”から生まれたイノベーティブな解決策を、専門家の解説とともにわかりやすくフィーチャーする。

人間にさまざまな病気を媒介することから、“世界で最もヒトを殺す生き物”といわれている蚊。日本で暮らしているとピンとこない人も多いかもしれないが、東南アジア諸国では蚊が媒介する感染症の一つであるデング熱が、長年の社会問題となっている。

デングウイルスに感染することで発症するデング熱は、高熱や頭痛、発疹などの症状が現れる。さらに、重症型のデング出血熱を発症した場合、死に至るケースも。デング出血熱を発症する患者の多くが子どもであることからも、まん延抑制の取り組みが急務となっている。

この問題に新たなアプローチを見出したのが、花王だ。2022年2月に、“蚊から未来の命を守るプロジェクト”を発足。花王独自の蚊の忌避技術を取り入れた試作品8万個を、タイ国内で配布すると発表した。

花王が開発した忌避技術は、低粘度のシリコーンオイルで肌をコーティングすることで、蚊が肌にとどまれない状態にして、刺されないようにするというもの。

しかもこのオイルは化粧品にもよく用いられており、肌に優しいうえ、スキンケア感覚で蚊を避けられる可能性があるのだ。

ここで質問です。  Q:蚊が媒介するマラリア・デング熱による年間の推定経済損失は?  A:①推定2億ドル、②推定31億ドル、③推定209億ドル  回答は記事中でご確認ください

花王が提案する蚊よけ技術の模式図  吸血のために皮膚に降り立った蚊がいる。 皮膚は蚊が嫌がる状態になっている。  針を刺す前に、蚊を飛び立たせる新たな蚊よけ方法

忌避技術の開発リーダーを務めたのは、長年、蚊の感覚の研究をしてきた花王パーソナルヘルスケア研究所の仲川喬雄氏。

彼を中心に、においの専門家の竹内浩平氏、化粧品の開発経験のある瀧澤浩之氏、化粧品の素材開発をしていた飯倉寛晃氏らが集まり、2017年にプロジェクトが結成された。

「花王ならではの基盤研究と、商品開発研究が交流するマトリックス体制だからこそできた研究だと思います」と自信をのぞかせる仲川氏。約5年の研究はついに実を結び、“蚊から未来の命を守るプロジェクト”は、タイで大きな一歩を踏み出したのである。

開発研究員たちの紹介 仲川喬雄:花王パーソナルヘルスケア研究所室長。プロジェクトでは蚊の研究者として、蚊を使った実験を立ち上げるなど、リーダーとしてチームをけん引した。

竹内浩平:花王パーソナルヘルスケア研究所所属。もともと衣料用洗剤で、生乾きの匂いを研究していたが、これまでの研究をもとに何か新しい提案ができると考えてチームに参加。

瀧澤浩之:花王パーソナルヘルスケア研究所所属、タイ駐在。スキンケア研究所で日焼け止めの商品開発を担当していた。チーム参加後、技術を応用した製剤化を担当。

飯倉寛晃:花王メイクアップ研究所所属。大学で、高分子の界面科学を専門に学ぶ。シリコーンオイルに蚊が留まれないことを発見し、そのメカニズムを解明して論文にまとめ、2020年に公開。

花王がチームを超えて、国を超えて取り組んでいる世界中の人類の命を握る課題ともいえる「蚊」の問題。次は、花王ならではの着眼点、研究領域のコラボレーション、社会課題に徹底的に向き合う技術魂から生まれた「蚊の忌避研究」の論文を解説しよう。

論文紹介 Mosquito repellence induced by tarsal contact with hydrophobic liquids Scientific Reportsに掲載

結論:化粧品にも用いられている低粘度のシリコーンオイルを塗布することで、安全に蚊を防げる新たな忌避剤を開発できる。

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オイルで蚊が嫌がる表面を作る、新たな発想で研究に着手

蚊を媒介にした感染症は、単一の蚊が複数の人間を吸血することによって引き起こされる可能性がある。そのため、蚊が人間を刺すのを防ぐことは、感染症に対する効果的な戦略と言える。

一般的な蚊の撃退方法は、肌に塗った有効成分を揮発させて、蚊を近づけさせない忌避剤である。この忌避剤で完全に防御するためには、高濃度の有効成分を露出した肌の上に慎重に塗布しなければならないうえ、効果が切れるたびに塗り直す必要がある。

だが、いくつかの国では子どもの安全を考慮して、忌避剤の使用回数に制限を設けている。

子どもから大人まで安全に使用できる忌避剤を開発するためには、蚊を撃退する新たなメカニズムの発見が重要である。そこで、蚊の脚に注目した。

肌にオイルを塗れば蚊の脚が滑り、吸血行動に移れないのではないかと仮説を立てて、さまざまなオイルを塗った表面に蚊を止まらせる実験を始めた。

すると蚊の意外な反応が明らかとなった。

水となじまないオイルを塗った表面では、蚊が止まってもすぐに飛び去っていったのである。特に、化粧品にもよく用いられている低粘度のシリコーンオイルは反応が顕著で、蚊の降着時間はわずか0.2秒以下だった。

蚊を遠ざけるのではなく、蚊の脚を引っぱるアプローチとは

蚊の脚は、表面に微細な凹凸構造を持っており、水を球状にしてはじいてしまうほど撥水作用が強いことはすでに知られていたが、さらに研究を深めた結果、蚊の脚はある種のオイルには非常になじみやすいことが明らかになった。

脚がオイルに触れるとあっという間に濡れ広がっていき、オイルに引き込まれてしまうのである。

この引き込む力を専用の機械で測定したところ、最大で蚊の体重の約80%の力が働くことがわかった。つまり、体重50kgの人間なら、40kgの力で引っぱられたことになる。脚先で危険を感じた蚊は、すぐに飛び去ってしまうというわけだ。

花王 蚊が即座に逃げ出す肌表面技術

濡れ拡がるオイルに蚊の脚が触れると起こること  蚊の前脚が低粘度シリコーンオイルに触れると、液体へ引き込まれる力が発生し、蚊が脚先で危険を感じて飛び去る。

こうして蚊が嫌がるオイルの性質とその理由がわかってきたことで、さまざまなオイルを使った降着実験を開始。蚊を入れたボックスにオイルを塗った腕を差し込み、実際に肌に止まって吸血行動に移るかどうかを調査した。

その結果、やはり低粘度のシリコーンオイルだと、肌に蚊が止まらず、吸血されにくいことが明らかになった。

このような現象が生態系の中でも起きていないかを探索した結果、カバが肌上に分泌する“赤い汗”の表面でも蚊は脱出反応を示し、天然の蚊よけとして機能することが示唆された。

そこでカバの分泌液と、分泌液の特性に近いシリコーンオイルを用意し、それぞれを塗布した基板に蚊を止まらせる実験を実施。すると、どちらの液体も蚊の降着抑制効果を持つことが明らかとなった。

濡れ現象を利用した蚊よけの例が、自然界にも存在していたことも証明した。花王の研究結果は、安全で効果的な新しい蚊の忌避剤を開発するのに有益であると考えられる。

クイズの答え:年間推定209億ドル(約2.4兆円!)  マラリアによるアフリカの経済損失は、年間推定120億ドル。デング熱による世界全体の年間経済的負担は推定89億ドル。合計で年間209億ドルに及ぶ。

クイズにて蚊が媒介するマラリア・デング熱による年間の推定経済損失が明らかになったが、現地ではどのような問題が起こっているのか。
その疑問を解明すべく、かつて東南アジアで生活し、実際にデング熱に感染したことのある経済アナリストの森永康平氏と、父親の卓郎氏にインタビューを実施。
花王の蚊の忌避研究が、世界中の感染症に悩む人たちにどのような恩恵をもたらすのか、そして生活者への影響について解説していただく。

経済アナリスト親子が読み解く、蚊がもたらす途上国へのインパクト

──そもそも蚊が媒介する感染症の世界的な問題について、どのようにお考えですか?

森永康平(以下、康平) 経済的に見てもかなり大きなマイナス要素を与えていますね。たとえば、アフリカの経済統計を見ていくと、貧困家庭の支出に占める蚊の対策費(マラリアの予防・治療)は、けっこうな割合を占めています。

そもそも貧困家庭は、ふだんの食費や生活費を出すのもやっと。ここに蚊の対策費がのしかかることで、自己投資や教育に回すお金がますますなくなってしまう。

その結果、何が起きるかというと、貧困層から抜け出せなくなるんです。

森永康平 経済アナリスト 金融教育ベンチャーの株式会社マネネCEO。明治大学卒業後、証券会社や運用会社でアナリスト、ストラテジストとしてリサーチ業務に従事。インドネシア、台湾、マレーシアなどで法人や新規事業を立ち上げた際、デング熱の恐怖を肌で体感した。年末のRIZIN参戦を目標に、トレーニングに励んでいる。

さらに、蚊の感染症が流行している国は、政府の公衆衛生支出を見ても、感染症対策に大金が使われています。本来はインフラの整備や、学校建築などにお金を使うべきなのですが、それができないことが、先進国との差を埋められない要因の一つになっています。

森永卓郎(以下、卓郎) もちろん、豊かさは所得だけで測れるものではありません。じゃあ、その国の国民にとって何がいちばん幸せかというと、長生きして天寿を全うすることなんですね。

感染症にかかって自分の家族や親戚、友人がどんどん亡くなっていくのはとても不幸なことですし、国民の幸福度を大きく下げてしまいます。感染症から国民の大事な命を守り、幸福度を上げていくことは、経済規模の拡大以上に重要な社会貢献だと思います。

森永卓郎 経済アナリスト 獨協大学経済学部教授。東京大学経済学部卒業後、日本専売公社(現・JT)、経済企画庁、UFJ総合研究所などを経て現職。2020年から埼玉県所沢市に小さな畑を借り、蚊と闘いながら野菜作りに挑戦している。『森永卓郎の「マイクロ農業」のすすめ:都会を飛び出し、「自産自消」で豊かに暮らす』(農山漁村文化協会)では、一連の体験をベースに新しいライフスタイルを提案している。

自身がデング熱に感染したからこそ、蚊の悩みから解放される豊かさ

康平 父の言う通り、感染症が流行している国の幸福度は低いでしょうね。僕は、インドネシアのジャカルタに1年半駐在したことがありますが、当時は蚊に対するストレスがものすごく強くて。

日本の場合は寝ているときに耳元に蚊がきても、耳障りな羽音が不快なだけじゃないですか。でも、インドネシアでは羽音が不快なことに加えて、刺されたらデング熱になるかもしれないという恐怖感にも襲われるんです。このストレスがとんでもない。

大人が感染すると数日間は仕事ができないので、日雇い労働者の場合は収入が途絶えてしまう恐れがありますし、子どもは重症化しやすいうえに、回復しても後遺症に悩まされるケースもあるので、親からすると気が気じゃない。

しかもどんなに注意していても、現地には電気式の虫たたきや蚊帳などの原始的な対策しかないので、蚊を完全に防ぐことはできません。

実は僕もジャカルタでデング熱に感染して、数日間、40度近い熱にうなされました。

花王が生み出した忌避技術によって、日本人が想像できないような生活ストレスを消せる可能性があるのは、素晴らしいことだと思います。

金額に換算するのは難しいですが、蚊のストレスが消えることによる経済効果は、とてつもなく大きいのではないでしょうか。

卓郎 康平の話は、日本人にとっても他人事ではありません。地球温暖化が進むと、日本人も蚊の感染症のストレスにさらされる可能性があるんです。

デング熱を媒介する蚊の生息範囲は、熱帯から亜熱帯のところに集中していますが、地球温暖化の影響でどんどん拡大しています。

日本が今のアジア諸国のような気候になると、日本でもデング熱が流行する可能性は非常に大きいと思います。

それに、ウイルスは変異する可能性もある。変異ウイルスが蚊を媒介役にして爆発的に感染拡大することで、日本の経済がめちゃくちゃになるかもしれません。

実は機能がシンプルな技術ほどイノベーティブ

──完成した忌避技術はすぐに商品化するのではなく、まずはタイ国内で8万個の試作品を配布するそうです。

卓郎 短期的に考えると、東南アジアやアフリカの経済を大きく上向かせる要因になると思いますが、それよりも素晴らしいのが、花王の取り組みです。

我々おじさん世代にとっては、研究者や技術者が協力し、努力を重ねて人々の暮らしを改善するものを生み出すというのは、最も共感しやすいストーリーなんですよ。90年代までの、日本のビジネス成功物語の香りがするわけです。

康平 親父が熱く語らなくても、花王の取り組みに共感する若い世代は多いと思います。確かに、この5年、10年は、効率的に稼ぐビジネスに光が当たっていた時代でしたが、今は環境やSDGsに共感する子も増えてきているので。

それに、社内の複数の部署が協力して、課題をどのように解決していくかというストーリーは、世代に関係なく刺さるんじゃないでしょうか。

森永康平氏の写真

卓郎 いずれにせよ、最近はこういったいいニュースがなかったからうれしいよね。それにシリコーンオイルの忌避技術の研究は、機能がシンプルなところもいい。

iPhoneといっしょで、機能がシンプルなものほどイノベーティブで、莫大な付加価値を生み出す可能性があるんです。

たとえば、日焼け止めと組み合わせて、蚊と紫外線の対策が同時にできる新たな商品を開発できれば、多くの方が喜ばれると思いますよ。

農家の方もうれしいでしょうね。僕は自分の食べる野菜を自分で育てるマイクロ農業を実践しているんだけど、夏場はあっという間に蚊に刺されちゃうから。

康平 日焼け止めの成分が入っているなら、キャンプや山登り、釣りといったアウトドアにも重宝すると思います。僕自身、釣りが趣味でよく出かけるのですが、日焼けと蚊の対策として、夏場でもアンダーシャツのような長袖が欠かせません。

それでも首や顔を刺されてしまうことがありますし、これ以上厚着をすると、熱中症になるのが怖い。肌に塗るだけで簡単に蚊と日焼けの対策ができるのであれば、多くのアウトドア好きが助かるんじゃないでしょうか。

SDGs注目のなか、人間にも地球にも優しい社会課題の解決法

卓郎 小さい子どもを育てている親の立場からしても、今回の忌避技術はうれしいんじゃない?

森永卓郎氏の写真

康平 シリコーンオイルは化粧品にも使われていて、肌にも優しいみたいなので、喜ぶ親は多いでしょうね。うちの子のように肌が弱くても安心して使えますし、蚊を殺さないということは環境にもいいですから。

そもそも、人間が生き物を完全にコントロールすることはできないので、蚊を殺したり、絶滅させたりするよりも、花王の忌避技術のように共生できたほうがいい。

人間だけではなく、地球にとっても優しい研究なので、SDGsの取り組みが進む流れとも非常にマッチしています。花王の忌避研究は、今後注目を集めるのではないでしょうか。

卓郎 命を守ることってシンプルで素晴らしいイノベーションだよね。蚊が媒介する感染症の社会問題を解決しようとする今回の取り組みは、ぜひ応援したいですね。

(制作:NewsPicks Brand Design 執筆:黒田知道 イラスト(似顔絵):docco デザイン:小谷玖実 編集:奈良岡崇子)

本質的な課題を追求することで、人に、生態系に、優しい解決策を導いていく。

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