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【特集:バイオIOS(持続可能な洗浄)】

「SDGs時代の洗浄剤」バイオIOSに見る花王の本気
~化学の力で世界を救え(前編)

  • 2023/11/10 Text by タカハシトモコ

ブルーバックス

汗を洗い流す、メイクを落とす、衣類の汚れやにおいを落とす、食器を洗う……。一日に何度も出てくる“洗う”という場面。「洗浄」は、清潔で快適な暮らしに欠かせないものだ。その大切な役割を担っているのが、洗浄剤。化学的には「界面活性剤」と呼ばれる成分である。

界面活性剤は、時代の変化に伴い、人々が求める機能や、社会で持ち上がる課題を解決してきた。その背景にあったのは、科学の力。難題にも真摯に向き合い、科学技術を駆使して研究・開発に取り組んできたからこそ、現在の界面活性剤がある。

近年、花王が開発した界面活性剤「バイオIOS」は、将来、直面すると考えられる社会課題に対し、早くも答えを出した画期的な基剤。「SDGs時代の界面活性剤」だ。

そこで、前・後編の2回にわたり、界面活性剤の特徴や機能を見ながら、その歴史をひもとき、バイオIOSの開発背景や科学的なメカニズムを探る。界面活性剤は地球規模の社会課題をどう解決してきたのか。分子の世界をのぞいてみると、その革新性や価値がより鮮明になるに違いない。

界面活性剤は「炭素の数」が決め手

「界面活性剤といえば、炭素数は12~14。この数が非常に重要なのです」

こう話してくれたのは、長年、界面活性剤の研究開発に携わってきた研究開発部門・研究主幹の坂井隆也さんだ。

坂井 隆也氏の写真

  • 坂井 隆也(さかい たかや)花王株式会社 研究開発部門 研究主幹。工学博士。国立大学法人山形大学客員教授。1992年 花王(株)に入社。素材研究所(現マテリアルサイエンス研究所)において、機能性界面活性剤の分子設計、工業的製法の開発、機能探索、作用機序の解析など多岐にわたり界面活性剤の研究・開発に従事。

界面活性剤とは、油などの汚れを洗浄する機能を持った分子。その特徴は、油によくなじむ「疎水基(親油基)」と、水によくなじむ「親水基」をあわせもつ分子構造になっていることである。

では、冒頭で坂井さんが言ったのは、どういうことか。

「水に溶ける界面活性剤をつくるには、疎水基の炭素数が12~14の油脂原料を使います。ところが、炭素がたった2つ増えて16~18になっただけでも水に溶けにくくなる。だから、数が重要で、C(炭素)12~14が必要なのです」。

界面活性剤の分子は、油に馴染む疎水基と水に馴染む親水基が繋がってできている。

  • 図1:界面活性剤分子の構造

界面活性剤が水に溶けるためには、疎水基の炭素の数が12から14が最適。16から18になると水に溶けなくなる。

  • 図2:炭素数と水溶性の関係

ここでポイントとなるのは「水に溶ける」ことだ。水の中ではどのような変化が起きているのだろうか。

「界面活性剤は、異なる物質の境界(界面)に吸着して、界面張力を低下させるはたらきをします。洗浄製品を例に挙げれば、溶けあわずに分離する油と水の界面に吸着し、『混じり合わせて、汚れを落とす洗浄』の機能を発揮するのです。ほかにも、空気と水の界面では『泡立ち』、繊維や髪などの固体と水の界面では『触感の変化』といった洗浄以外のはたらきもします」と坂井さん。

界面活性剤の働きは汚れ落ちだけではなく、泡立ちや触感の変化といった洗浄以外のはたらきもする。

  • 図3:界面活性剤の機能

では、もう少し深く掘り下げて、分子レベルの動きを見てみよう。界面活性剤は、水中での濃度が低いうちは、一つ一つバラバラの状態で溶けている。ところが、濃度を高めて飽和状態になると、親水基を外側にして集まり「ミセル」と呼ぶ球体をつくるようになる。この変化が現れる濃度を「CMC(臨界ミセル濃度)」という。ミセルの内側は疎水基(親油基)なので、油はミセルの内側に取り込まれる。これが可溶化や乳化と呼ばれる現象。こうやって、油と水が混ざり合い、汚れが取り除かれる、というわけだ。

*界面活性剤が汚れを除去するメカニズムは、こちらの記事で詳しく解説しています:「泡で汚れは落とせない? 化学界も驚愕の新常識」

界面活性剤は、水中での濃度を高めて臨界ミセル濃度に達すると、親水基を外側にして集まり「ミセル」と呼ぶ球体をつくり、油汚れを水と混じり合わせて落とせるようになる。

  • 図4:洗浄機能を発現するための3つの条件。低い濃度でのミセル形成が重要

このような作用をスムーズに行うために、界面活性剤には炭素数12~14の油脂原料を用いるのが理想的なのである。

このままでは「洗浄の危機」が訪れる?

現在、界面活性剤の天然原料として世界中で用いられているのが、アブラヤシの実から採取したパーム核油とココヤシの実から採取したヤシ油である。その理由は、どちらも疎水基と同じ炭素数が12~14を多く含む油だから。ただ、ここに至るまでには多くの課題を解決してきた歴史がある。

現在、界面活性剤の天然原料として世界中で用いられているのが、アブラヤシの実から採取したパーム核油とココヤシの実から採取したヤシ油である。

  • 図5:界面活性剤の原料

古くから使われてきたのは、石けん(脂肪酸塩)だ。なんと紀元前から1940年頃までの長きにわたり、界面活性剤といったら石けんしかなかった。ただ、硬水では不溶化して洗浄力が低下すること、アルカリ性であること、という2つの弱点があり、石けんで洗うと髪や衣類がゴワゴワするという感触の問題も指摘されていた。

それが1930年代後半になると合成界面活性剤が登場し、衣料洗剤系と香粧品系という用途別に多様化していく。衣料洗剤系でいうと、洗浄力と低価格の追求により石油化学系の界面活性剤が用いられていた時期もあったが、環境安全性を考慮し、下水に排出されると最終的には二酸化炭素と水にまで分解される生分解性を高めることに成功。

原料の天然化率も推し進め、今や世界で使われる洗浄剤の界面活性剤は、天然植物油脂が主原料になっている。また、香粧品系では、肌に近いpHで使用できる界面活性剤の開発や、より一層の肌へのやさしさの追求に取り組み、使用感や機能性も高めて進化してきた。

紀元前からある石けんから始まった界面活性剤の歴史は、20世紀に合成界面活性剤が登場してからは様々な用途別に多様化。生分解性の向上や原料の天然化の他、肌へのやさしさ、使用感や機能性も高めて進化してきた。

  • 図6:数々の課題を解決してきた界面活性剤の開発の歴史

こうして1990年代には「人にもやさしい、環境にもやさしい」エコロジーと、世界中の人に届けられる経済性(安定供給性、生産性、コスト)を両立する界面活性剤が実現できた、と考えられていたのだ。ところが……。

「界面活性剤に使われるパーム核油とヤシ油は、世界の総植物油脂原料のうち、わずか5%ほどの生産量しかなく、ほとんどを占めるのは食用中心に使われるパーム油などです。今後、世界の人口増加に伴い、植物油脂の使用量も増えるはずですが、実際の生産量は、ほぼ横ばい。だからと言って、さらに森林を伐採して農園を増やすわけにはいきません。環境と生態系に負荷をかけるだけなく、様々な社会問題をはらんだ「パーム油問題」の観点から、サステナブルではないためです。そう考えると、将来的には油脂原料全体、ひいては界面活性剤の原料が足りなくなる可能性が高いと言えます」と、坂井さんは危機感を口にする。

過去20年で地球人口はおよそ20億人も増大。これまで通りに需要に合わせて植物油脂の生産量を増大させるわけにはいかない。将来的には油脂原料全体、ひいては界面活性剤の原料が足りなくなるかもしれない。

  • 図7:世界の総植物油脂生産量に占める界面活性剤の原料の割合と生産量推移。過去20年で地球人口はおよそ60億人から80億人と、20億人あまりも増大した。その需要に応えて油脂生産量も増加の一途をたどってきたが、近年は減速している。

界面活性剤は、さまざまな製品に使われているが、その中でも全体のおよそ6割を占めているのが衣料用洗剤。近い将来、洗浄製品が十分につくれなくなったり、価格が高騰したりすれば、今のようには洗濯ができなくなるかもしれない。

「このように予測される限り、我々はメーカーの責任として何か手を打たねばなりません」と坂井さん。この強い思いこそが、のちに誕生する「バイオIOS」開発の起点となったのである。

諦めかけていた「炭素16~18」の活用

アブラヤシの実から採取できる油脂は、2種類に分けることができる。1つは、果肉を搾った「パーム油」で、主に食用に使われるもの。もう1つはタネから採取する「パーム核油」で、こちらが石けんを含む界面活性剤の原料となる炭素数12~14のものだ。

SDGs(持続的な開発目標)を見据えた新たな課題を解決するべく、開発チームが目を付けたのは、植物油脂原料のうち、これまで界面活性剤には使われてこなかった部分。パーム油を食用に採取したあとに残る固体状の油脂である。これなら、食用と競合しにくいし、工業用の用途に限られていてあまり使われていない。「ここをなんとか使おう」と考えたのだった。2005年頃のことだ。

開発チームは、パーム油を食用に採取したあとに残る固体状の油脂に目を付けた。これなら、食用と競合しにくいし、工業用の用途に限られていてあまり使われていない。

  • 図8:原料転換のアイディア。オレイン系油脂のうち食用と競合しにくい固体部を活用する。

ただ、それまで使われていなかったのには理由があった。この部分は疎水基の炭素数が16~18で、水に溶けないのだ。

「実は、私が入社した約30年前から、界面活性剤の開発の分野では、すでに炭素数16~18を使って界面活性剤をつくり出そうとしていました。我々だけでなく、世界中で同じ取り組みをしていましたが、2005年の時点でもまだ結果が出ていなかったのです」と、坂井さんは当時を振り返る。

新たな界面活性剤を開発するにあたっては、日本だけでなく、世界を視野に入れる必要がある。原料不足の危機は、世界中でシェアすべきグローバルな課題だからだ。となると、避けて通れない問題にぶつかる。世界における界面活性剤の敵、「硬水」への対応である。

「硬水」とはカルシウムなどの金属イオン濃度が高い水のこと。温泉もその一例だ。日本の水道水は軟水なので実感しにくいが、地球全体では硬水の地域が非常に多い。硬水では界面活性剤が不溶化して泡立ちにくく、洗浄力を十分に発揮できなくなるのだ。そのため、洗浄時の水温を高くしたり、使用する洗浄剤の量を多くしたりしないといけない。もちろん、そんなことをしていればSDGsから遠ざかる。つまり、ただ単に「水に溶けやすい」ではなく、「低温の硬水でも溶けやすい」ことが重要なのだ。

また、界面活性剤の機能を十分に発揮させるには、水に溶けることに加えて、水にも油にもなじみやすい「高い界面活性」も求められる。その指標となるのが、先に述べたCMC。界面活性が発現する臨界ミセル濃度である。このCMCが低ければ低いほど、使う界面活性剤は少量で済む(図4参照)。

「ということは、硬水でも使用できるよう『低温でも水に溶ける高い水溶性』と、少ない量で洗浄できる『低いCMC』の両方を達成しなくてはいけないわけです」と坂井さん。

SDGs時代の界面活性剤を世に送り出すには、技術的にこれらの難題をクリアする必要があった。いかにしてブレイクスルーを起こしたのか。後編へつづく。


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<参考文献>

世界人口統計、都市部人口統計
Population Dynamics, Department of Economics and Social Affairs, United Nations,
https://population.un.org/wup/

世界油脂生産量統計
Oil World,
https://www.oilworld.biz/

パーム油生産量の将来予測
Minchul, S. World Palm Oil Supply Forecast. Oil Palm Industry Economic Journal 2020, 20, 21-27.

世界のGDP変化予測
Economic Outlook No 95 - May 2014 - Long-term baseline projections
https://stats.oecd.org//Index.aspx?DataSetCode=EO95_LTB

パーム核油収穫量増大と生産者生活の向上を目指した花王の取り組み
ニュースリリース「花王、アピカルグループ、アジアンアグリがインドネシアの小規模パーム農園の支援プログラム「SMILE」を開始」
https://www.kao.com/jp/newsroom/news/release/2020/20201014-001/

ニュースリリース「パーム農園でのガノデルマ病害モニタリング技術確立にむけ株式会社ポーラスター・スペースと業務提携開始」
https://www.kao.com/jp/newsroom/news/release/2022/20221128-001/

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