Japan 日本語

イノベーションのDNA

  • #口腔装着物 #オーラルケア #洗浄技術 #バイオフィルム #オレイン酸塩 #人生100年時代

【特集:バイオフィルム洗浄(口腔)】

マウスピースに歯列矯正…
多様で身近になった口腔装着物に応える独自の洗浄技術

  • 2022/11/30 Text by 及川夕子

FRaU

口腔装着物と聞くと入れ歯など高齢者向けの印象を持たれるかもしれないが、実は、歯列矯正やマウスピース、ナイトガードなど多様化し、誰にとっても身近な存在になっている。口の中をチェックしてみてほしい。入れ歯やブリッジなどの義歯、矯正用のマウスピースなど、何らかの口腔装着物が入っているか、または利用したことがあるという人も多いだろう。


今回は、そんな口腔装着物の“お手入れ問題”に注目してみよう。口腔装着物も歯と同様、「清潔に保つ」が大事だ。しかし、洗浄方法は?というと、よく知らない人も多いのではないだろうか。

オーラルケア用品もどんどん進化している。口腔装着物の汚れを落とすポイントについて、独自の洗浄技術を開発した、花王パーソナルヘルスケア研究所の半田拓弥研究員、園井厚憲研究員、同解析科学研究所の原光志研究員に、研究者の視点から解説してもらった。

口腔装着物の広がりとともに改めて浮上する課題とは!?

人生100年時代を迎え、「口腔の健康は財産」といわれるようになった。口や歯の機能は、食べる・話すなど生活に直結するものであるし、歯の状態は見た目にも影響が及ぶ。

だからこそ、歯の代わりに機能を補ってくれたり、快適な生活や見た目にも自信をもたらしてくれる人工素材が、いまとても重宝がられている。

私たちが日頃お世話になっている口腔装着物には、次のようなものがある。 まず、古くからある入れ歯。これは歯がなくなった場合に装着するもので、高齢になるほど利用者が増えていく。部分入れ歯や差し歯、ブリッジといった義歯もある。また、コロナ禍が始まって以来、矯正歯科の患者数が急激に増加したことを示す統計があるが(厚生労働省の平成26年、平成29年、令和2年患者調査)、この背景には口元が隠れるマスク生活で歯列矯正にチャレンジしやすいという事情があるのかもしれない。マウスピースといえば、スポーツ用のマウスガードや就寝時の歯ぎしり/食いしばり防止に活用されるナイトガードを取り入れる人もいる。

入れ歯や義歯だけではない「口腔装着物」。マウスガードや歯列矯正用のアライナーなど、様々な用途に広がっている。

  • 図1.幅広い年代に、幅広い用途に合わせて多様化する口腔装着物

このような背景から、今回、花王の研究チームが取り組んだのが「口腔装着物の簡単かつ確実な洗浄」という課題だった。

「日本では80歳で20本以上の歯が残る人が増えたものの(厚生労働省 歯科疾患実態調査)、全く歯が抜けないわけではありません。部分入れ歯などの義歯が必要な方は、今後も増えていくでしょう。ならば、高齢者に優しくかつ洗浄性能を担保できる洗浄方法を提案できないか? そんな発想から、我々の研究はスタートしました。もちろん、その先にある様々な口腔装着物の洗浄という課題も見据えながらです」と、園井研究員はいう。


原研究員は、自身の母親が部分入れ歯を、子どもがマウスピース型の歯並び矯正具を使用していることもあり、口腔装着物はもともと身近な存在だった。「入れ歯やマウスピースが幅広い世代に普及してきましたが、歯に歯垢がつくのと同じで、口腔装着物にも菌の住みかとなるバイオフィルムが形成されます。高齢者のような比較的免疫力が弱い人でもより気軽に安心して口腔装着物を使えるように、洗浄技術を進化させたいと思ったのです」と話す。

オーラルケアで攻略すべきはバイオフィルム

口腔装着物が普及することでクローズアップされるオーラルケアの課題は、入れ歯やマウスピースに付着するぬめり(バイオフィルム)やニオイの問題だ。歯や入れ歯の表面に付着したぬめりの中で菌が増殖するとニオイや歯周病の原因になり、特に免疫力が低い場合には全身疾患に繋がる懸念も報告されていることから(※1)、日々のケアでしっかりと取り除くことが大切なのだ。

バイオフィルムとは、いわゆる粘性のある、細菌の集合体が作る膜のこと。台所の流しのヌルヌルとしたぬめりというとわかりやすいかもしれない。

最初は口の中の細菌(常在菌)が、歯の表面や口腔装着物に吸着したタンパク質を足場にして点々と付着する。これらのさまざまな常在菌が増殖しながら、細胞外物質を分泌して繋がっていくことで徐々にバイオフィルムが形成されていく。この中では菌同士が助け合い、栄養分のやりとりなども行われる。細菌にとっては、うまく隠れることのできる快適な環境なのだ。

最初に歯の表面や口腔装着物に蛋白質が吸着し、これを足場にして細菌が点々と付着し、増殖しながら、細胞外物質を分泌して繋がっていくことで徐々にバイオフィルムが形成されていく。

  • 図2.多種多様な菌たちの生存戦略=口腔バイオフィルムの形成過程

バイオフィルムの形成と成熟をこまめに断ち切ること、それが口腔装着物のケアにおいても守るべき重要なポイントだ。

【難敵!バイオフィルムの特徴】
●細胞外物質(「ぬめり」のもと)に覆われた、菌にとって心地よい住みかで、ニオイや歯周病のもとになる
●よく聞く「プラーク(歯垢)」は歯牙や歯肉の表面にできるバイオフィルムのこと。私たちは日々、歯磨きで物理的に落としている。

「知られたくない」「(洗浄に)時間をかけたくない」利用者の悩み

半田研究員によると、歯に付着したバイオフィルムを取り除くには、ブラシ等による物理的な方法や、洗浄剤、殺菌剤といったものを併用するという方法が基本になる。

「しかし、入れ歯やマウスピースをしたまま歯磨きをするのは難しく、外してお手入れをする必要が出てきます。そこで、外して歯磨きをしている間に「放置」洗浄できるようにするというのが、技術の目標イメージとなりました」(半田研究員)

今回、口腔装着物用の洗浄アイテムを開発するにあたって、半田さんらのチームは、生活場面でどんな困りごとがあるかをリサーチしたという。

「最初は、入れ歯の洗浄剤開発からスタートしました。すると、お客様の意識に『入れ歯を利用していることを知られたくない』『恥ずかしい』という悩みがあることがわかりました。入れ歯を外すところや洗っているところを見られたくない。自宅では家族に、旅行先で友人に見られるのも気になるとのことでした。短時間でサッと洗える洗浄剤があれば、お手入れの手間もストレスも軽減されます」(半田研究員)

一方、矯正用のマウスピースの場合、食べるとき以外は装着しておく必要がある。
「そういった意味からもお手入れは短時間で済ませられることが理想です。歯列矯正はただでさえ負担が大きいので、その苦労を少しでも楽にできたらと考えました」(半田研究員)

菌を剥がすという、全く新しいアプローチ

物理的な力を加えず放置洗浄するには、それに適した洗浄成分が必要になる。半田さんら開発チームは、バイオフィルムを作り上げている物質に着目した。

「バイオフィルムは、細菌が分泌する様々な物質が細菌自身と混じり合ってできる複合汚れです。対象物が複数ある汚れは、“洗浄の難敵”。つまり、一般的な界面活性剤で分解洗浄するのが難しい。結果として、壊すのが難しいならば、丸ごと剥がしてしまえばいいと着眼点を変えたのが、ターニングポイントになりました。汚れを剥がすには、汚れと付着面との間を濡らす(洗浄剤分子と水がすき間に入り込む)ことが重要になってきます。そこで発見したのが、オレイン酸塩という物質でした。なかなか壊れないバイオフィルムが、べろべろっと丸ごと剥がれるのには本当に驚きました」(半田研究員)

園井研究員は「実はオレイン酸塩は、石鹸の主要な成分のひとつです。様々な界面活性剤を試した結果、このような身近な成分からバイオフィルムがそのまま剥がれる特異的な現象が見出されたのは灯台下暗しで、とても驚きでした」と振り返る。

高感度の微細解析技術を駆使してオレイン酸塩の作用機構を確かめた原研究員も胸を張った。「バイオフィルムと付着面の間に小さなすき間が発生し、みるみるうちに大きく広がっていく様を観察することで、オレイン酸の作用が間違いなく剥離であることを証明できました」

バイオフィルムを剥がす方法は見つかった。次なる関門は時間だった。歯みがきしている間に洗浄するには、5分以内で洗浄することが目標。だが、オレイン酸だけでは、処理時間はどうしても10分かかってしまう。ここでモノを言ったのが、オーラルケアに限らず幅広い分野で洗浄製品を世に出してきた花王の技術蓄積だった。

「結果として、オレイン酸塩をアシストする物質として、花王が手がけてきた幅広い領域の洗浄剤の中からPAA/MAポリマーを見つけ、5分以内での剥離を実現できました(※2)。口腔装着物汚れの洗浄技術の開発は全く新しい領域でしたが、これまでの洗浄技術開発の蓄積が活きたのは誇らしいことだと思っています」(半田研究員)。

口腔装着物(アクリル樹脂などの素材)バイオフィルムを剥離除去する技術を開発した花王の研究チームは、2022年の日本義歯ケア学会で論文発表し優秀発表賞を受賞した。聴講した歯科医からは「バイオフィルムを分解するのではなく、剥がすという方法は目からウロコだった」と驚きの声が上がったという。

どんどん身近になる口腔装着物、賢く衛生的に使いたい

私たちの口の中には、様々な細菌をはじめとする膨大な種類の微生物が暮らしている。私たちとは基本的に共存している関係だが、放っておくとバイオフィルムを形成し、成熟すれば歯周病などの問題に繋がってしまう。これは歯でも口腔装着物でも同じだ。

おさらいになるが、こまめなケアでバイオフィルムが成熟する前に取り除くことが、オーラルケアの基本中の基本だ。これから口腔装着物がますます身近になり、それに合わせてオーラルケア用品もどんどん進化していくだろう。上手に取り入れ、清潔さを保つよう心がけたいものだ。


※1 口腔バイオフィルムの詳しい説明はこちらをご覧ください。
スカッと痛快! 打倒「バイオフィルム」に燃えた研究員の挑戦 「口腔装着物の洗浄」の常識を変える(前編)
※2 口腔バイオフィルムの剥離技術の誕生について詳しくはこちらをご覧ください。
ついに「5分の壁」を突破! 口腔ケアの新技術 「口腔装着物の洗浄」の常識を変える(後編)

半田 拓弥氏の写真

●開発担当 半田拓弥さん
花王株式会社 パーソナルヘルスケア研究所 研究員
当プロジェクトでは最終製剤の開発を担当、PAA/MAの発見者である。大学では生物化学工学を専攻。2009年花王(株)に入社。ハウスホールド研究所で洗浄技術研究と衣料用洗剤開発を担当した後、パーソナルヘルスケア研究所に異動。オーラルケア製品の開発に従事。「今までなかったもの」を創れる商品開発が大好き

園井 厚憲氏の写真

●基盤研究・技術開発 園井厚憲さん
花王株式会社 パーソナルヘルスケア研究所 研究員
大学では高分子化学・無機化学を専攻。2010年花王(株)に入社。解析科学研究所にて歯牙の沈着物の解析に取り組んだ後、パーソナルヘルスケア研究所に異動してオーラルケアの研究開発に従事。お客様に喜んでいただき、世の中にも貢献できる技術・商品づくりを模索する毎日を過ごす。

原 光志氏の写真

●解析担当 原光志さん
花王株式会社 解析科学研究所 研究員
主にバイオフィルム剥離機構解析やオレイン酸による剥離機構を解明。新居浜工業高専では生物応用化学を専攻。2010年 花王(株)に入社。入社以来約10年間、電子顕微鏡や原子間力顕微鏡を用いた微細構造解析に従事。ナノの世界の面白さを伝えるため、可視化に日々奮闘している。

powered by FRaU

Page Top