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【特集:顔印象】
「顔の印象」を科学する~前編
下の2枚の写真は同一人物の顔の写真だ。何が違うかわかるだろうか?
なんとなく、色味が違うような……?(種明かしは後ほど)
では、2枚の写真に対して受ける印象に差はあるだろうか。
今度は次の3枚を見比べてみてほしい。こちらも、ある1つの要素だけを変えているのだが、受ける印象は異なるだろうか?
私たちの目や脳はちょっとした違いも敏感に感じ取っている。“なんとなく” “なにか”が違うのだが、それを的確に言い表すのは案外難しい。十人十色、一人として同じ顔の人はおらず、それをどう感じるのかもまた、人それぞれだ。きわめて多様で、主観的に評価される「顔の印象」。もし誰もが同じように感じる普遍的な要素があるとしたら、それが顔の印象の成り立ちを理解するうえでの“本質”ではないか──ならばと、確かめずにいられないのが「花王という会社の性分なのです」と花王スキンケア研究所の南浩治氏は話す。
南氏は約20年前から顔の印象について研究を開始。「顔や肌の見え方が、どのような要素によって成り立っているのか」を理解するところから始まり、現在は「各々の要素が変化したときに、人の感じ方がどう変わるのか」という研究に発展しているという。
現在、花王では「色彩」「形」「感性」という3つの視点から顔の印象に関する包括的な研究を進めている。そして、これらの研究から得られた知見は、すでにスキンケアやメイクアップの製品提案に活用されている。なかでも、南氏が最初に着手した「色彩」に関する研究成果は、経験的に語られてきたノウハウを裏付けるだけでなく、意外な事実も明らかにした。
本記事では「色彩」について紹介し、「形」「感性」については後編で紹介する
「色彩」の研究はさらに「肌の表面」と「肌の内部」、2つの視点に分かれる。下の図は、私たちが肌の色彩を視覚的に捉えるときの光学現象を図式化している。
肌に光が当たると、一部の光は肌表面で直接反射される。また一部は肌の内部に入り、内側で散乱したのちに放射される。つまり肌の色彩には、肌の内部の状態と、表面の状態それぞれが関係していることになる。
南氏のチームは千葉大学と共同で、普通のカメラで撮った顔写真から肌内部の生理的な情報を取り出す方法の開発に取り組んだ。まず、ここでは不要な情報である表面反射光の成分や、光の当たり方によって生じる陰影の成分を除く。残るのは、皮膚の生理的な状態を反映した「色」情報だ。人間の目が光を3原色(赤:R, 緑:G, 青:B)に分けて脳に伝達するように、この「色」情報はRGB画素値の分布(色ムラ)として数値化される。これを肌内部のメラニン色素、ヘモグロビン色素の分布情報に、数学的に変換するのだ。メラニンは日焼けでおなじみの肌を黒くする色素、ヘモグロビンは血液に含まれていて、血行が増すと肌が赤くなる原因だ。
開発した方法の信頼性は、実際に紫外線の照射や血行促進(血管拡張作用のある物質の塗布)によって、メラニンやヘモグロビンの色素量を人為的に変化させた場合に適用して確かめた。
結果は、生理反応から予想された通り、色素沈着はメラニン成分によるもの、血行促進はヘモグロビン成分によるものと、分離できることが示された。
この方法を「逆向き」に応用すれば、メラニンとヘモグロビン、それぞれが肌の見え方(顔の印象)に与える影響をシミュレートできるようになる。つまり、今度はメラニンやヘモグロビンの色素量が変化することによって、印象がどのように変わるのかを予測できるわけだ。実は冒頭で示した3点の比較写真は、この手法で合成された画像だった。
「日々のスキンケアは肌の内部を健全な状態に導くことを目的としていますが、その効果はなかなか一朝一夕では実感しにくいところがあると思います。こうしたシミュレーションで肌を健康な状態に保つことへのモチベーションを高めることが期待でき、店頭での肌カウンセリングなどに応用されています」(南氏)
上の取り組みでは不要な情報として扱った「肌表面からの色」については、別の手法で研究が進められた。メイクアップをした場合は、化粧品の原料が顔の表層をカバーすることになる。化粧品原料の光学的な性質と顔の印象との関係については興味深いデータも得られたという。
南氏らが注目したのは、色味のある有彩色のパール顔料だ。パール顔料には特定の方向に光が強く反射される特性があるため、顔の表面に多様な色彩の分布をつくりだす。そこで南氏らは肌内部の散乱光の画像(先ほど同様、実写から得られるRGB分布データ)に、今度はパール顔料の光学特性にもとづいたシミュレーション画像を重ね合わせることにした。
実験に用いるパール顔料としては、ゴールド、ブルー、レッド、グリーンの4色を用意して、光の当たり方で見え方がどう変わるかを調べるところから始めた。それぞれをファンデーションのように平らな板に塗り延ばした表面へ光を照射。すると、光の当たる角度によって、反射光の色味・強さ、そして反射光の方向は大きく変化する。そこでさまざまな角度から反射光を測定し、反射光のモデルが作られた。このデータを使えば、実際に肌にパール顔料を塗らなくても、反射光がどのように見えるかをバーチャルにシミュレートできる。
図7がその結果だ。反射光のシミュレーション結果を、あらかじめ撮影しておいた被写体の肌の内部散乱光の画像と重ね合わせると、最終的な見え方を示す合成画像が完成する。
さて、お気づきかもしれないが、ここで冒頭の画像の種明かし。実は右側は青色のパール顔料を想定(表面反射光に青色を付与)した画像で、左が無彩色パールの場合だったのだ。改めて両者を比較して、印象の感じ方に違いはあるだろうか?
この研究には続きがあり、図9で示した顔の合成画像を用いて印象を評価する実験が行われている。その結果、肌の色彩分布が変化することで、印象の評価も変わることが示された。
評価者は19~24歳の女性39名。同一人物をモデルとした2枚の写真(参照画像(n)と有彩色画像(c))を比較し、「cはnに比べてどうみえましたか?」という設問に答える形で49種の印象語それぞれについて4段階で評価(SD法)。回答を集計し、得た因子得点を評価値とした。
「青色という肌色とは異質な色でも、他の色に比べて薄付きに見えることや、洗練された印象、上品な印象のスコアが高くなったことは驚きでした。こうした知見は化粧の仕上がりがもつ印象効果を訴求したメイクアップ商品の開発にも生かされています」(南氏)
一般に、青はクールな印象を象徴する色だ。しかし肌色と混じったときには、青は黄の補色であるため、黄の彩度を低下させる効果をもたらしたとみられている。実測に基づいたシミュレーション技術は、このように“思い込み”を取っ払って意外な事実を教えてくれたりする。最後に南氏は次のように語った。
「科学の視点でみることで、人の印象のように複雑な要素がいくつも絡み合う対象から本質的な要素を抽出することができます。一方で予想とは違う新たな気づきが得られることもあります。まだ認知されていない、潜在的なポイントを探し出していき、顔印象についてより多角的に捉えていきたいですね」
続く後編では、顔の「形状」と印象との関係について、そして「感性」という人の心の動きを評価した研究について紹介する。
後編はこちら
<参考文献>
Tsumura,N.; Ojima,N.; Sato,K.; Shiraishi,M.; Shimizu,H.; Nabeshima,H.; Akazaki,S.; Hori,K.; Miyake,Y. Image-based skin color and texture analysis/synthesis by extracting hemoglobin and melanin information in the skin. ACM Transactions on Graphics 2003, 22(3), 770-779.