イノベーションストーリーズ
2019年11月1日、花王は積層型極薄膜形成技術「ファインファイバーテクノロジー」応用第1弾として、
化粧品(スキンケア)領域から事業化すると発表した。
ファインファイバーとは、花王が開発した直径1μm(1ミクロン:1ミリの1000分の1)以下という、これまでにない極細繊維。
このファインファイバーには予想以上の機能性があるようだ。その開発と未来の可能性を探った。
不織布をヒントとした技術で、イノベーションが起きようとしている。
ファインファイバーは直径1㎛(1ミクロン:1ミリの1000分の1)以下の細い高分子ポリマーでできた一続きの糸の繊維。
この極細繊維を直接肌に吹き付けると、幾層にも折り重なった膜ができる。
この膜は軽く、やわらかく、肌の動きに柔軟に追従し、肌表面をなめらかに整える性質がある。
縁に向かって薄くなる形状のため、はがれにくく、肌に自然になじみ、肌との境目も見えにくい。
また、1本の連なった繊維でできているので、吸い込んでしまうなどのリスクも少ない。
さらにファインファイバーが持つ高い毛管力(物体内の狭い隙間が液体を吸い込む力)により、
併用する製剤を速やかに肌全体に均一に広げて、しっかり保持する性能がある。
一方で繊維の隙間から水蒸気を適宜通すので、肌を完全に閉塞することなく、適度な透湿性も保てるという。
花王スキンケア研究所で基礎化粧品の開発を担当している内山雅普。彼が初めてファインファイバーと出会ったのは2015年。
その数年前から、栃木県にある花王の加工・プロセス開発研究所では、
グループリーダーの東城武彦らが超極細繊維のファインファイバーを開発し、それを直接肌に吹き付ける方法が研究されていた。
ファインファイバーが、まるで霧のように肌に吹き付けられる様子を初めて見た時、
内山は、「面白い! 面白いけど、これ、何に使えるんだろう」と、その先がすぐには想像できなかったと振り返る。
「でも、すごく未来感がありましたね。
今までにない、まったく新しい化粧品のかたちがつくれそうだな、というインスピレーションを感じました」
化粧品の歴史は数万年前にまでさかのぼるといわれ、紀元前のエジプトで人々がアイメイクを施した絵も残っている。
「化粧品は誕生から現在に至るまで、“塗る”ものです。化粧水も乳液もクリームもメイクも、すべて塗って使います。
ファインファイバーを初めて見たとき、そこに違うレイヤーが生まれ、新しいかたちが提案できるのではないか、
という気がしたのです。驚きとともに、そういうワクワク感がありました」
だが、そこから具体的なかたちに仕上げるまでは、悩みの連続だったという。
内山がファインファイバーの特性で最も注目したのは、繊維の隙間が液体を吸い込む力、「毛管力」だ。
「顕微鏡でのぞくと、ファインファイバーが液体を吸って、驚くほど均一に広がる様子がよくわかります。
化粧品は塗ったつもりでいても、じつはお肌の上でムラになっていたり、夜はしっかり塗ったのに、朝になるとあれ?という経験があると思うんです。
それがファインファイバーと組み合わせることで、持続性や均一性がいとも簡単に達成できることに気づきました。
その原動力となるのが毛管力。ファインファイバーの最大の特徴です」
乳液やクリームとファインファイバーを組み合わせて使えば、効果が飛躍的に上げられるのではないか。
その人の肌に合わせた最適な状態がつくれるのではないかと期待しているという。
内山は同僚の男性の足に注目した。極度のドライスキンで、「いつも粉ふき芋みたいな」カサカサの肌をしていたのだ。
そこに製剤を塗りファインファイバーを吹き付けると、
数日間でその部分の肌が見違えるようにしっとりして、きれいになったように見えたという。
内山に言わせると「これは保湿の再発明」。毛管力が生み出す均一な膜の広がりが、肌の上を覆う。
この機能性の高い膜が、事業化第1弾として考えられていった。
加工・プロセス開発研究所の東城が、こう補足する。
「ティッシュに水滴を落とすと、ジワーッと広がりますよね。
ファインファイバーの場合、その100倍くらい早く、均一に広がる感じです。
ファインファイバーと製剤を組み合わせれば、たとえムラにつけても、
毛管力で均一に広がり、お肌の上に理想的な状態がつくりだせるのではないかと考えています」
ファインファイバーと組み合わせる製剤を変えることで、応用範囲は多岐にわたるのではないか。内山は言う。
「ファインファイバーというネットワークに、どういう機能性を組み合わせるか。
お肌の水分透過性をコントロールするものでもいいし、ボディ用のメイクと組み合わせることもできる。
ファインファイバーを骨格にしながら、組み合わせるものは自由に変えて、
さまざまな機能を発揮させることができると考えています」
ファインファイバーは「広がる」「保持する」「持続する」など、パフォーマンスがとても高い。
これは研究開発する側から見れば、機能性(ファンクション)の高さ。
だが、花王が求めるのはお客様の満足感(ベネフィット)。その機能性が、お客様にどういう満足感をもたらすかを重視する。
それが内山に課された命題だ。「ファンクションをバリューに変える」、そこに2~3年間悩んだという。
研究を続けるなかで内山は、ファインファイバーの膜には、
肌の上の水分をコントロールして肌本来の働きを引き出す可能性があることを発見した。
自分の肌が本来持っているナチュラルパワーを引き出すことが期待できる。
それはお客様にとって、化粧品の概念を変えるほどの満足感をもたらすはずだ。
効果検証に時間を費やし、製剤の安定性、安全性などを一つひとつクリアして製品化へとつなげていく。
その過程では花王の社風ともいえる横のつながりが重要な役割を担った。
内山は2カ月に一度、各拠点の研究所が持ち回りで開催している「Iマトリックス会議」に参加。
「そこで出会ったキーマンに相談したり、意見を聞きに行きました。
また、化粧品を新たにクリエーションする、スキンケアを再定義することに何が必要だろうかと、
化粧品の部署に限らず、他の部署の仲間たちのところに足繁く通ってディスカッションすることで、
たくさんのヒントを得ることができました」
花王はアメリカでもファインファイバー技術の応用研究を進めている。
アメリカでの展開は「グローバルボディケアプロジェクト」といい、ボディメイク、シミやアザ、傷痕を隠すカバーメイクの他、
ケミカルピーリング(※)やレーザー治療後のケア、疾患皮膚のケアなどへの応用といった、
従来の化粧品とは異なる分野での研究が進められている。
ファインファイバーのアメリカプロジェクトを担当する八谷輝は、花王の生物科学研究所に所属し、
シミを含む老化皮膚の研究を専門に行っていたが、アメリカではプレイングマネジャーとして先頭に立っている。
「アメリカ各地で協力してくれるメーキャップアーティストやエステティシャンにファインファイバーを使ってもらい、
その可能性を探っているところです。反応はいいですよ」
上半期には、ニューヨークやロサンゼルス、シンシナティで、メーキャップアーティストやエステティシャンを対象に
ファインファイバーのデモンストレーションを含むワークショップを行った。
メーキャップアーティストを対象としたワークショップでは、
ファインファイバーを吹き付けた上に白い花びら柄のメイクなどを施し、さらに上からファインファイバーを吹き付けた。
こうすると、メイクが直接肌に触れないだけでなく、はがすだけで簡単に次のメイクができる。
今後も映画やエンターテインメント、ファッション業界などで活躍する
メーキャップアーティストにファインファイバーを試してもらい、
その声を発信してもらう。そこから一般の人々へも広がれば……と考えているという。
アメリカではスパでケミカルピーリングを行うケースが多い。
エステティシャンを対象としたワークショップでは、施術後の肌と見立てた上で、ケアローションを塗布。
ファインファイバーを吹き付け、その後、さらにサンスクリーンやBBクリームを塗布した。
こうすることで、サンスクリーンやBBクリームが、
直前の施術によって負荷のかかった肌に直接触れることがなくなる。
さらに肌を保護し、施術後の見た目もカバーできることが期待されている。
これらのデモンストレーションには「amazing!」「so cool!」「game changer!」といった声が上がった。
ケミカルピーリングの後は皮膚が赤くなる場合があり、
その後、かさぶたになって、完全に治るまで10日間ほどかかることもあるという。
ケアの後、治るまでの時間は、その人にとって満たされない時間。
ところが、ファインファイバーを使うことにより価値を感じてもらえる可能性も、
研究を続ける中で徐々に見えてきているという。
「体験した方々からは、喜びの声も届いています。ここにファインファイバーがお客様の不満を解消し、
満足感を与えられるカギがあるかもしれない」と八谷は見る。
2018年に花王がファインファイバーテクノロジーを発表すると、
産官学の幅広い分野からさまざまな問い合わせや引き合いがあった。
ファインファイバーの可能性は無限に広がり、花王はオープンイノベーションを加速させていく。
ファインファイバーの未来を開発者たちはどう見ているのだろう。
東城は「不織布の世界を刷新できるのではないか」と意気込んでいる。
「ファインファイバーを使えば、不織布の使用量そのものを減らしていける可能性があると考えています。
例えばフィルター。繊維が細くなるほど捕集性は高くなりますが、
ファインファイバーを使えば、不織布の使用量が100分の1になっても、
同様のフィルター性能を出すことができるかもしれない。それが細くなっていくことの効果のひとつです。
エネルギーの削減にもつながりますし、地球環境問題にも貢献できるのではないかと思っています」
内山はこう考える。
「数千年間変わらなかったお化粧の文化が、ファインファイバーで変わるかもしれない。
忙しい朝にメイクがパッと終わるような、お客様がベネフィットを感じられる化粧品の革命が起こるのではないか。
そういう場に立ち会えたら面白いと思います」
そのための一石を、自分たちがまず投げてみる。その波紋がどう広がっていくのか楽しみだという。
八谷は言う。
「ファインファイバーが世の中を変えるかもしれない。自分たちがまだ気づいていない可能性や活用方法もあるでしょう。
ファインファイバーを世の中に出して、自分たちも、ともに勉強させてもらうつもりです」
これで満足したら止まってしまう。これからが本当のスタートだと、みな深く自覚している。
(制作:NewsPicks Brand Design 執筆:武田ちよこ 編集:奈良岡崇子 写真:矢野拓実 デザイン:九喜洋介)