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イノベーションのDNA

  • #衛生学 #微生物 #まもる #感染予防 #掃除・キッチンケア

【特集:住環境の衛生研究】

掃除と除菌「ホットスポット」はどこ? 136家庭の微生物調査でわかったこと

“ほぼ見えないヤツら”に立ち向かう(前編)

  • 2020/09/16 Text by 漆原次郎

ブルーバックス

私たちはどんなときも、微生物やウイルスといった、あまりに小さすぎるためふだん目にすることのないものに囲まれて暮らしている。それらには私たちに不快感や病気をもたらすものがいる一方、健康によい働きをするものもいるらしい。しかも、場所によってその種類が違うとか……。

そんな“ほぼ見えないヤツら”も、その正体を知り尽くし、振る舞いをうまく制御することができれば、より快適で健康な暮らしを得られるはずだ。

身のまわりで不快感や病気をもたらす微生物やウイルスについて、どうにかして「ここにこれだけいる」とわかるようにし、さらに立ち向かう方法を築いていく。そしてそれにより人びとに健康、清潔、快適、楽しさを届ける。花王ではこうした研究を「衛生研究」と呼んで積極的に進めてきた。「衛生」ということばには、身体的だけでなく精神的にも、また社会的にも健康であるようにという意味が込められている。

「家にいる微生物たち」に目を向けた研究も、花王の衛生研究の一つだ。家のどのスポットにどんな微生物たちが潜んでいるかをいくつもの方法で調べ上げ、人びとのお掃除に役立ててもらったり、除菌や消毒などの製品に結びつけたりするものだ。「やはりという結果も、驚きの結果もありました」と話す研究員。取り組んできた研究の全容を聞いてみた。

住環境の微生物を「適度に」制御したい

「猫みたいな感じですね」。細菌などの微生物のことを、花王安全性科学研究所の矢野剛久氏はこう表す。その姿をチラ見せしたり、私たちの言うことを聞かず自由奔放に振る舞う姿が猫のようだからだ。

ただし、私たちがそうした微生物の姿に気づきはじめるということは、その場が不衛生になっていることも意味する。たとえば浴室を掃除せずにいると「ピンク汚れ」が現れてくる(図1)。これは、花王の研究でわかったことだが、メチロバクテリウムという細菌がすくなくとも約1000万個はそこにいる証拠だ(※1)。このような着色汚れのほかに臭いも不衛生さのあらわれといえる。

家のなかにいるこうした微生物の叢(そう)つまり群がりは「MoBE(Microbiome of Built Environment)」ともよばれる。

「細菌たちが代謝することで不快な臭いや汚れは生じます。それに、細菌はなによりも感染症の原因になります」と矢野氏は説く。MoBEがたくさんあるほど、人は不快になるし、病気になりやすくなる。これがMoBEについての一つの基本的な考え方だ。

ただし、逆に微生物が少なすぎると、アレルギーなどをもたらすのでかえって健康によくない面があることも、国内外の研究者が指摘する重要な点だ。 「つまり、MoBEを適度に制御していくことが、重要となります。けれども、まず『制御する』というところからして、とてもむずかしい……」

家のなかに現れる「ピンク汚れ」の例。細菌メチロバクテリウムを多く含む。

  • 図1.家のなかに現れる「ピンク汚れ」。細菌メチロバクテリウムを多く含む。

  • 矢野 剛久(やの たけひさ)花王株式会社安全性科学研究所主任研究員。2006年、入社。安全性科学研究所において、家庭内微生物汚れの解析およびその制御技術開発、また界面活性剤や防腐剤などの微生物への作用機序解明といった、微生物制御にかかわる研究・開発に従事している。

家に住む微生物の実態調査から歩み出す

どうして、MoBEを制御することはむずかしいのか。矢野氏は「関与する因子が、とても多いからです」と答える。

ひと口にMoBEといっても、微生物たちは種類も性質も多様だ(図2)。家まわりに存在する菌や細菌は約9000種にもなるといわれており(※2)、その性質も病気の原因となるもの、臭いを発するもの、人に害をあたえないものなどさまざまある。他方で、MoBEにどんな影響をどれだけ受けるかは、その家に住む人の特性が関与してくる。何人暮らしか、何歳か、持病があるか、出かける頻度はどうかなどで影響の受け方は変わってくるからだ。さらに、家についても、風通しがよいか、ペットはいるか、都市か地方かなどで、MoBEの状態は大きく変わってくる。

家のなかにいる微生物の群がりはMoBEとよばれる。MoBEには約9000種にもなるといわれる微生物そのもの、建物に住む人の特性、そして建物そのものの特性が関わっている。

  • 図2. MoBEをめぐる「微生物」「人」「家」それぞれの多様な因子。

つまり、「微生物」「人」「家」のそれぞれに多くの因子が関与しているのだ。
これら因子の一つずつについて網羅的に理解していけば、「MoBEを適度に制御する」ことに近づくことになる。この理想は、高くて遠いものかもしれない。だが、その道筋の途中であっても、「数多くの洗浄剤や衛生商品を使ってもらう企業である以上、家庭の衛生状態がどうなっていて、これらの商品を使うことでその状態がどう変わっていくかをしっかり把握し、発信しつづけなければならないと思うのです」。そんな思いのもと、矢野氏は「家に住む微生物たち」そのものに着目することから、一歩目を踏み出した。

「病気や不快感を抑えるため『最適なMoBE』の状態を求めたいわけですが、それを測るための最適なものさしがただ一つあるわけではありません。そこで複数の指標を用いて、総合的に家の各スポットにおけるMoBEを評価していくことにしました」

矢野氏の言う「複数の指標」とは具体的には、「微生物の数」「微生物の種の多様性」そして「害を及ぼす微生物の率」の三つだ(図3)。家の各スポットでMoBEをこれらの指標で測る。それぞれの指標の度合いが高いほど、そこは制御すべきMoBEのホットスポット、つまり「お掃除ポイント」となる。

MoBEを評価するために、微生物の数、微生物種の多様性、そして害を及ぼす微生物の率の三つを指標にした。

  • 図3.最適なMoBEを評価するための三つの指標

実際の調査では、協力が得られた136軒の家を訪ね、キッチン、居間、子ども部屋、トイレなどの各部屋における計50以上のスポットを、指標ごとに評価していった。これにより、「最適なMoBE」に近づくための「お掃除ポイント」などが見えてきたのである。

「お掃除ポイント」がつぎつぎ明らかに!

調査の結果を、「微生物の数」「微生物の種の多様性」「害を及ぼす微生物の率」の指標ごとに見ていこう。

まず、「微生物の数」。数が多いほど不快感が増し、感染症リスクが高まるのだから、これは基本的な指標といえる。調査では、それぞれの家のなかのさまざまなスポットの10cm×10cm四方を綿棒で擦り、得られた微生物の数を数えだしていった。

「すると、ほとんどのご家庭でキッチンスポンジに100万〜1000万個という多数の微生物たちがいることがわかりました」(図4)

キッチンスポンジに微生物が多いという結果そのものは、「やはりと、納得できるところではありました」と矢野氏は話す。水気のあるところは微生物が増えやすいという原則があるからだ。

「でも、意外だったのは、キッチンスポンジでも、食器を洗う用と、シンクを洗う用で、微生物の多さにあまり違いがなかったということです。多くのご家庭では別々のスポンジをお使いと思います。でも、じつは別々に分けても『微生物の数』という指標からは意味がなさそうなのです。私どもにも大きな驚きでした」

調査ではほかにも、キッチンスポンジと同様に水気の多いところとして、キッチンシンクの排水口縁や、居間で使う台ふきんなどでも、微生物の数が多いとわかった。

逆に、微生物が多そうなイメージをもたれがちな、ベビーチェアのバーやおもちゃといった子どもまわり、トイレの床、スマートフォンの表面などでは、微生物の数はさほど多くなかった。これらも矢野氏にとって意外なことだった。

これらの結果からは、きれいにすべき対象には微生物はさほど多くないが、きれいにするための用具には微生物が多くいるともとれそうだ。

微生物の数で評価すると、キッチンスポンジ、キッチン排水溝、台ふきんが菌のホットスポットであることがわかる。

  • 図4.各スポットにおける微生物の少なさ・多さ。横軸右側で棒グラフが高いほど、多くの家庭で微生物が多い「ホットスポット」ということになる。ただし、台ふきんの結果で見られるように、微生物が少ない横軸左側から多い右側に棒グラフがまんべんなく広がっているようなスポットでは、清掃習慣などの影響で微生物の数が変動しやすい可能性もある。

二つ目の指標は「微生物の種の多様性」だ。さまざまな種類の微生物がそこいるということは、病原菌がいる可能性が高いことになる。つまり、人からすれば衛生を脅かす要素に触れやすいことになる。家のどんなスポットに微生物の種が多様に存在しているのだろうか。

調査では「数」とおなじく、各家庭の各スポット10cm×10cmを綿棒で擦って微生物を採った。微生物には種ごとに異なるDNA配列がある。そこで、採ったサンプルから抽出したDNAのすべてについて配列を調べることでどんな微生物がいるのかを調べたのだ。

調査の結果、微生物の種の多様性についても、あいかわらずキッチンスポンジでその度合いが高く際立っていた。だが、もう一つ「予想外でした」と矢野氏が言うスポットがある。

「冷蔵庫の野菜室です」

微生物の数の指標では、野菜室はとりたてて目立つ結果を示さなかった。だが、微生物の種の多様性の指標では、キッチンスポンジにつぐ多様性の高さとなった(図5)。
「よく考えると、野菜には土も多くついていて、その土には微生物が多様にいますから、野菜室も多様性が高いという結果になったのだろうと推察しています。温度が低いので増えづらいものの、多様な微生物を持ち込みやすいスポットであるといえます」

微生物種の多様性では、キッチンスポンジに加えて冷蔵庫の野菜室もホットスポットであることがわかる。

  • 図5.家の各スポットにおける微生物の種の多様性(Chao1指数)。横軸の値が大きいほど、そのスポットでは微生物の種が多様であることを示す。

さらに、三つ目として「害を及ぼす微生物の率」も指標にした。これは、各家の各スポットについて、病原性をもつ種を含む微生物の率がどれくらいかを測るものだ。病気をもたらすといった悪さをする微生物が含まれている率が高いスポットであるほど、そのスポットにおける感染症のリスクは高いといえる。

調査では、悪さをする代表的な微生物の科として「腸内細菌科」を選んだ。腸内細菌科には、身体によい役割をする微生物が含まれる一方、食中毒の原因になるような微生物も含まれる。そのため腸内細菌科は、食品衛生分野で悪さをする微生物がいるかどうかの指標とされている。そこで、家のなかのどのスポットに、この科の率が高い菌叢グループが多く見られるかを調べていく。

調査の結果、やはりこの指標でも数種のときとおなじく「冷蔵庫の野菜室」が、とりわけ際立っていた(図6)。

「腸内細菌科は、土のなかにもいますし、植物からも検出されやすいとされます。野菜や土といっしょに入り込んだと考えてよいでしょう」

腸内細菌科比率は、シンク排水口と冷蔵庫野菜室で高い。

  • 図6.家の各スポットにおける、腸内細菌科の存在比率。濃い青色の割合が高いほど、存在比率は高い。冷蔵庫の野菜室のほかには、シンク排水口が高い率を示した。

暮らしを見つめるからこその「身近な微生物」研究

「微生物の数」「微生物の種の多様性」「害を及ぼす微生物の率」。これら三つの指標による各調査の結果をまとめると、つぎのようになる(図7)。

微生物の数の指標では、キッチンスポンジ、シンク排水口縁、台ふきん。微生物の種数では、キッチンスポンジと野菜室。害を及ぼす微生物の率では、野菜室。これらがとくに『最適なMoBE』に向けて油断禁物の『お掃除スポット』となる。他方、子どもまわりやトイレの床、スマホの表面やPCキーボードでは、意外にも微生物の数が少なかった。普段から掃除が行き届いているスポットや水気が足らないスポットでは、そもそも微生物の数が少ないためと考えられる。

微生物の数では、キッチンスポンジ、シンク排水口縁、台ふきん。微生物の種数では、キッチンスポンジと野菜室。害を及ぼす微生物の率では、野菜室。これらが『最適なMoBE』に向けた『お掃除スポット』となる。

  • 図7.調査結果から導かれる「お掃除ポイント」。

矢野氏は「苦労してくまなくお部屋のなかを掃除するのでなくとも、お掃除スポットに着目して効率的に掃除することが、快適で衛生の保たれた暮らしにつながると考えています」と話す。具体的には、キッチンスポンジや台ふきんなどは「ひんぱんに交換すること」、また冷蔵庫の野菜室については「定期的に野菜を取り出して拭きあげること」などが、その方法になると矢野氏は説く。

微生物を扱う研究分野では、研究者たちがさまざまな場所での微生物種を対象としている。そうしたなかでも、今回の花王の研究は、「私たちのごく身近にいる微生物種」を対象としたものといえる。

「じつは、学会でこの研究成果を発表したとき、ほかの研究者たちから『やっぱり身近な微生物叢も調べないとね』といった反応がありました。極地から昆虫の腸内までさまざまな環境を対象にした微生物研究があるなか、逆に身近な住環境に着目する研究は意外と多くないのです」と矢野氏は話す。清潔で美しくすこやかな暮らしに役立つ商品をめざす企業の研究であることが、結果的に研究の独自性にもつながっている。

もちろん、「最適なMoBE」の状態を求めていく研究は、これで終わりとはならない。微生物という因子のほかにも、家に住む人についての因子や、家そのものの因子にも目を向け、MoBEの全体像を探っていくことが、「最適なMoBE」に近づくことになる。そしてそれが、健康の増進や不快感の抑制につながっていく。

「家庭でのお困りごとにきめ細かくお応えできる製品の開発につなげていきたい。それと同時に、得られた知見を発信していくことで、これからも生活者のみなさんに正しい情報を提供していきたい。そう思っています」

今回の衛生研究をめぐる話で主題となったのは、おもに細菌などの微生物だった。これと並んでもう一つ、不快感や病気をもたらす代表的存在といえるものがある。「ウイルス」だ。細菌よりもはるかに小さいウイルスは「もっと見えないヤツら」といえる。花王はウイルスの振る舞いについても調べあげ、制御するための研究も進めている。後編では「ウイルス制御」をめざした、もう一つの研究に目を向けてみたい。

つづきは<後編>へ。

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<主な参照先>

●MoBEについて
・microBEnet HP
https://www.cdc.gov/microbenet/index.html

●「殺菌」「除菌」「消毒」等のちがい
・花王製品Q&A 製品の表示にある「殺菌」「除菌」「抗菌」、それぞれの意味は?
https://www.kao.com/jp/qa_cate/kitchenbleach_04_01.html
・日本石鹸洗剤工業会 HPどこがどう違うのか…「滅菌」「殺菌」「除菌」「抗菌」などの用語
https://jsda.org/w/03_shiki/a_sekken30.html

● 微生物について
・「びせいぶつってなに?」/日本微生物生態学会アウトリーチサイト
http://www.microbial-ecology.jp/or/
・「生物の多様性と進化の驚異」/実験医学オンライン
https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/mb_lecture_ex/vol1n1.html

● 微生物種を同定するための分子生物学の基本概念や手法について
・農芸化学に学ぶ~くらしにいきるバイオサイエンス・バイオテクノロジー~/監修 日本農芸化学会
https://www.jsbba.or.jp/manabu/site/04_01.html
・楽しく学べるゲノム解析漫画 「ゲノムに夢中」illumina社
https://jp.illumina.com/destination/comic/love-genome.html

● ウイルスと微生物のちがいについて
・今さら聞けないウイルスと細菌と真菌の違い/近畿大学病院 輸血・細胞治療センター
https://www.med.kindai.ac.jp/transfusion/ketsuekigakuwomanabou-252.pdf

●生物種の多様性に用いる指標について
・種の多様性 場(生態系)の多様性 - 京都大学 生態学研究センター
http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~tsubaki/Tsubaki/Lecture_Note_files/EcologicalScience1.pdf



<参考文献一覧>

※1 浴室ピンク汚れについて ・Yano, T.; Kubota, H.; Hanai, J.; Hitomi, J.; Tokuda, H. Stress Tolerance of Methylobacterium Biofilms in Bathrooms. Microbes Environments, 2013, 28, 87-95.

・久保田浩美 「企業におけるバイオフィルム研究」Bacterial Adherence & Biofilm, 2013, 27, 11-16.

・宮原佳子, 矢野剛久, 花井淳也, 横畑綾治, 松尾申遼, 平塚絵美, 岡野哲也, 久保田浩美「浴室ピンク汚れ(Pink Biofilm)の制御」Bacterial Adherence & Biofilm, 2013, 27, 55-58.

※2 ZME Science 2015年8月26日付記事 “How many germs you can find in your home: about 9,000 different species”
https://www.zmescience.com/medicine/how-many-germs-my-house-0423423/

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