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  • #衛生学 #生化学 #ウイルス #まもる #感染予防 #掃除・キッチンケア

【特集:住環境の衛生研究】

「殻だけウイルス」で見えてきた家庭内の伝播経路

“ほぼ見えないヤツら”に立ち向かう(後編)

  • 2020/09/23 Text by 漆原次郎

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いくら存在を意識しても視覚的に捉えることができない。ウイルスは、そんなもどかしい物体だ。1個の直径は数十〜数百ナノメートルほどで、細菌の100分の1程度しかない。なにせ小さい。

だが、放っておくと、病原体としてのウイルスは、人びとの命や健康、生活の質、経済活動を脅かしていく。そのことを私たちは新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)で思い知らされている。

ウイルスの感染拡大のしかたを知り尽くし、どうにかウイルスを制御できないものか。

花王の研究者は、人びとに健康、清潔、快適、楽しさなどを届けるための「衛生研究」のひとつとして「ウイルスの制御」に挑んでいる。ウイルスのモデルをつくり、そのモデルを使ってウイルスが伝播していく道筋を調べあげ、そして感染を抑えるという一連のウイルス制御の型を築こうとしているのだ。

「どこを抑えれば感染拡大を阻止できるのか。そうした本質を捉えることを、私たちはやろうとしています」。こう話す研究者に、研究の全容や成果、そして新型コロナウイルスへの応用可能性などを聞いた。

“難敵”を制御する方法を築きたい

「ウイルスは、細菌の100分の1程度の大きさしかなく、また感染相手の細胞でのみ増殖し、変異のスピードが極めて速いなど、細菌やカビなどとはまったく異なる性質をもっています。研究に着手した2004年当時、ウイルスはまったく新しい研究対象でした」
花王の安全性科学研究所でウイルス制御のための研究に取り組んできた横畑綾治氏はこう話す。そんなウイルスも病原体となるものがある以上、花王の衛生研究の対象となる。

風邪、インフルエンザ、風疹、麻疹など、よく知られている感染症を引き起こすウイルスの種類だけでもゆうに2桁はある。横畑氏らは、食中毒の原因となる「ノロウイルス」をウイルス制御のための研究の題材にした。その理由は大きく二つ。「ほかのウイルスにも研究手法の横展開が可能だから」と「病原体として脅威だから」だ。

ウイルスは構造的に、脂質膜で覆われた「エンベロープウイルス」と、覆われていない「非エンベロープウイルス」に分けられる(図1)。ノロウイルスが属しているのは後者の非エンベロープウイルスであり、前者よりも熱、酸、エタノールなどのストレスに強いとされる。それだけでなく、わずか100個のウイルスが身体に入るだけで感染が成立するという感染性の高さもやっかいだ。つまり、ノロウイルスは高レベルな“難敵”であり、その正体を知り尽くし、制御する方法を築ければ、ほかのウイルスの攻略に向けた研究手法を検討しやすくなるし、ノロウイルスという難敵自体にも立ち向かえるようになるというわけだ。

ノロウイルスなどの非エンベロープウイルスと、エンベロープウイルスのちがい

  • 図1.ノロウイルスなどの非エンベロープウイルスと、エンベロープウイルスのちがい。

ノロウイルスの伝播は、物の表面を介して起こるとされる。たとえば「ドアノブ → 手 → 食器 → 口」という経路はありうるだろう。だが、ウイルスは見えない存在であるため、「経路についての研究はほとんど行われておらず、どこを抑えればウイルスを効果的に制御できるかは実際のところまだ不明確」なのだという。

“難敵”ノロウイルスに対し、伝播経路を明らかにして「ここを抑えれば人への感染を抑えられる」という制御方法の型を得たい。しかし、ノロウイルスそのものを用いた実験は危険だ。そこで横畑氏らは、「ウイルスのモデルを構築する」「モデルを使ってウイルスの伝播のしかたを把握する」「ポイントをねらって伝播を断ち切る方法を確立する」という3段階の戦略を立て、その実現をめざすことにした。順を追って挑戦と成果を見ていこう。

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    横畑 綾治(よこはた りょうじ)Kao USA, Inc.リサーチ・マイクロバイオロジスト。2012年、花王に入社。安全性科学研究所において、ノロウイルスの制御、花王製品の防腐防黴、迅速菌種推定技術の確立など、ウイルス・微生物に関する幅広い研究に従事。2018年からKao USA, Inc.に派遣。米国での製品の防腐性評価・研究に従事している。

モデルとしての「殻だけウイルス」づくり

まず第1段階として、横畑氏らは「ウイルスのモデル構築」をめざした。ここでいう「モデル」とは、大きさ、形、さまざまな表面へのくっつきやすさなどは本物のノロウイルスとそっくりだが、感染能力のない、ウイルスの模型のようなものだ。一般的な実験室で扱うことができたり、実際の家庭を想定して汚れのような夾雑物(きょうざつぶつ) があるなかで検出できることも、モデルの重要な要件となる。モデルができれば、第2段階の「伝播経路の実態把握」に使うことができる。

横畑氏らは、モデルの候補としてナノサイズの無機微粒子や、小麦粉、別種のウイルスなど、ウイルス制御の研究でモデルとされてきたものを検討したが、いずれにもどこか要件を満たさない点がある。

「これらを使っていてはいつか行き詰まってしまう。新たなモデル材料を探すことにしました」
その結果、ウイルス制御の研究では、これまでまったくといってよいほど前例のない材料に白羽の矢が立った。
「VLPsです」

横畑氏が口にする「VLPs」とは、Virus Like Particlesのことで、「ウイルス様中空粒子」ともよばれる。図1に表したウイルスから、中の遺伝子が除かれた「殻」だけの微粒子だ。遺伝子がないため感染能はない。「VLPsは、ワクチンの研究ではよく使われてきました。私たちの研究はワクチンでなく環境中の伝播解析のためのものですが、それでも最も要件に適合する理想的なモデルになると考え、ノロウイルスのVLPsをつくろうと考えたのです」

横畑氏らは、ノロウイルスの中でも現在圧倒的に流行している「ノロウイルスGII」を模したVLPs、名付けて「NoV GII VLPs(Norovirus GII Virus Like Particles)」をつくることにした(図2)。昆虫の細胞をVLPsの材料タンパク質の“製造役”に仕立てて、VLPsを精製していく。タンパク質をたくさん発現する昆虫細胞を選んだり、精製度を高めるため遠心分離の方法を調整したりと、ノロウイルスのVLPsを大量に得るための地道な改良を重ねた。

だが、大きな課題が一つ、残されていた。
「ノロウイルスとおなじ大きさのVLPs以外に、なぜか小さな粒子が混ざってつくられてしまうのです」
この小さな粒子が混ざったままだと、ノロウイルスのモデルとしては不完全だし、正しい結論に達するうえでの妨げにもなりかねない。なんとか取り除きたい。

「先行研究の文献を徹底的に調べました。すると、昆虫の細胞が発現するプロテアーゼ(タンパク質を分解する酵素)のしわざで、VLPsの材料となるタンパク質が断片化され、これで問題の小さな粒子がつくられてしまうという示唆が得られました。このプロテアーゼの働きを阻害する化合物を添加しようと考えました」

目論見は成功し、実際のウイルスとおなじ大きさのVLPsだけを揃えることができた(図3)。「決定的な進展でした」と横畑氏は言う。
こうして第1段階として、ノロウイルスのVLPs、つまり「殻だけウイルス」というモデルを、純粋かつ大量につくりだす方法を構築したのである。

ノロウイルスのモデル候補と、各モデル候補についての要件適合性

  • 図2. ノロウイルスのモデル候補と、各モデル候補についての要件適合性。作製したNoV GII VLPs(ノロウイルス様中空粒子)のみが、すべての要件に適合した。国立感染症研究所との共同研究。

ノロウイルスよりも小さい粒子が混ざってしまう問題の解決プロセスの図

  • 図3. ノロウイルスよりも小さい粒子が混ざってしまう問題の解決プロセス。タンパク質が「Sドメイン」と「Pドメイン」という2つに断片化され、「Pドメイン」から小さな粒子がつくられてしまっていたことが判明。断片化を阻止するためにプロテアーゼ阻害剤を添加することで目的のサイズの粒子のみを作製することが可能となった。

9割取り除けても感染は生じる

モデルとしての「殻だけウイルス」をつくれたことで、横畑氏らは、つぎの第2段階「ウイルスの伝播のしかたの把握」に進んだ。この段階は、感染拡大を抑えるのになにが必要かが見えてくるだけに重要だ。

どうやって伝播のしかたを把握するか。横畑氏らは、家庭内でノロウイルスが感染者からほかのスポットへつぎつぎ伝播していくことを想定し、各スポットにどれだけの数量のウイルスが存在しているかを推定することにした。ウイルスの数量を推定するのに、横畑氏らは「ELISA」(エライザ、Enzyme-Linked ImmunoSorbent Assay)という方法を選んだ。ウイルスがあるか、あればどのくらいあるかを、酵素を使って測定する方法だ。

一方で、ウイルスが伝播していく経路については、単純かつ典型的といえるものを想定した。ノロウイルスに感染した子どもが、トイレから出てキッチンの調理台に触れ、母親がふきんでその調理台とボウルを水拭きし、そのボウルでイチゴを水洗いするというものだ(図4)。接触をとおして伝播しやすいノロウイルスでは、どの家庭でも起きうるような設定だ。

ノロウイルスの伝播のしかたを調べるための場面設定

  • 図4. ノロウイルスの伝播のしかたを調べるための場面設定。感染した子どもを起点とし、イチゴに残存するウイルスの数量を評価した。

各スポットについて、「殻だけウイルス」の数量をELISAで評価した。すると、ウイルスの伝播について深刻にならざるをえない事実を得ることができた。

「『ふきんによる水拭き』は、ウイルスを取り除く効果が十分ではなかったのです。さらに問題なのは、かえってまたそのふきんを使うことでウイルスを他に移す『拭き移し』効果が大きかったことです」

水拭きでは、除染効果が不十分で、むしろ移染効果が大きかった

  • 図5. 水拭きでは、除染効果が不十分で、むしろ移染効果が大きかった。

数量評価では、水拭きでウイルスは約90%も取り除け、一方、そのふきんから拭き移されたウイルスは約8.5%だけ。これらの数値を見ると、水拭きでほとんどのウイルスの伝播を妨げることができたようにも見えるが……。

「ノロウイルスは、100個あれば感染が生じてしまうのです。90%取り除けたからといって、1億個が1000万個になっただけなので、伝播経路を断ち切ったことにはなりません。拭き移しについても、やはり個数的には感染するのに十分な量が移ってしまっているわけです」

結局、子どもがトイレで手洗いをした後に手に付いていた10億個ほどのウイルスは、伝播の末、イチゴ1個あたり760個ほど残される計算となった(図6)。760個は、感染が生じうる100個を大きく上まわる数量だ。

「この結果から、日常的な生活行動だけではノロウイルスの伝播を断ち切るのは非常に難しく、危険な数のまま拡散するということがわかりました」

ウイルスの数量の移り変わり

  • 図6. ウイルスの数量の移り変わり。最後のイチゴの段階でも、ウイルスの数量は感染成立量を上まわった。

ウイルスを破壊するようすを像で捉える

手洗いや水拭きなどの日常的な生活行動だけでは、ウイルスの伝播・感染を防ぎきれない、となれば、ウイルスを制御する方法が必要となる。そこで横畑氏らは、第3段階の「ポイントをねらって伝播を断ち切る方法の確立」に取り組んだ。

ウイルスを物理的に壊してしまえば、感染能を失わせることができる。つまり不活性化できる。そこで、従来からノロウイルスの消毒に使われてきた次亜塩素酸ナトリウムを用いた。そして、VLPsが崩壊していくようすを、これも従来手法である透過型電子顕微鏡(TEM:Transmission Electron Microscope)を用いて観察することにした(※1)。

結果は期待どおりだった。VLPsに次亜塩素酸ナトリウムを接触させることで、粒子が散り散りになっていく。そのようすを透過型電子顕微鏡で観察することができた(図7)。

これで、ノロウイルスの伝播を断ち切る具体的な方法も見えてきた。たとえば、前述のように「ふきんで拭くこと」にはじつは深刻な危険があったが、だからこそ、ここが「伝播を断ち切るポイント」として選ばれる。「調理器具とその他の表面を拭くふきんは分けること。そして、調理器具を拭く際は希釈した次亜塩素酸ナトリウム液を用い、浸すように拭くことが有効と考えられます」と横畑氏は話す。

次亜塩素酸ナトリウムを使ったノロウイルスの不活性化は「伝播を断ち切る方法」の数あるうちのひとつだ。ノロウイルスにかぎっても、ほかに、ウイルスの拡散を阻止するなど、いくつかの可能性が考えられる。「ノロウイルスの脅威がなくなったわけではなく、油断は大敵です」と横畑氏は続ける。今後も最適な方法がめざされていくことになろう。

次亜塩素酸ナトリウムによりノロウイルスのVLPsが崩壊していくようすを捉えた透過型電子顕微鏡(TEM)の写真

  • 図7. 次亜塩素酸ナトリウムによりノロウイルスのVLPsが崩壊していくようすを捉えた透過型電子顕微鏡(TEM)の写真。

「本質」を捉えることが、研究を前進させる

一連の研究を振り返り、「VLPsを用いて、ウイルス伝播のしかたを数量変化で評価したことにブレークスルーがありました」と横畑氏は話す。

ここでやはり横畑氏に聞きたくなる。研究成果は、新型コロナウイルスの制御にも活かせるのだろうか、と。

「コロナウイルスには、ノロウイルスと異なる特徴があり、膜のあるエンベロープウイルスに属します。そのためエンベロープウイルスのVLPsを新たにつくる必要があり、そこにはまた別のノウハウも必要になってきます。一方で、ノロウイルスに対する不活性化技術を構築できれば、それは新型コロナウイルスなどにも応用できると思います」。横畑氏はこう話す。

コロナウイルスとノロウイルスでは伝播や感染のしかたが異なる。また、消毒法についても、ノロウイルスでは有効とはされていないアルコールが有効とされるなど(※2、3)異なる点がある。

「ですので、単純に今回の研究結果をコロナウイルス制御に応用することはできません。ただし、適切な場面に適切な技術を用いることで、確実にウイルスの伝播を断ち切るための方法を見つけていくという研究手法については、横展開できるものと思います」

新型コロナウイルス関連でいえば、花王はこれまでも重要な研究成果を打ち出してきた。2020年5月には、北里大学の片山和彦教授のグループなどとの共同研究で、新型コロナウイルスに対する感染抑制能をもった抗体を得られたと発表した。治療薬や診断薬の開発につながりうる成果だ。横畑氏は「こうした成果を早く出せたのは、花王にウイルスの専門家が増え、外部の研究者とのつながりをもてた成果といえます」と話し、ウイルス研究の蓄積が実を結んでいることを強調する。

冒頭で「本質を捉えることを、私たちはやろうとしています」という横畑氏のことばを紹介した。これは、ひとつの「なんでなのか」という根本的な疑問を調べ尽くして解決すれば、大きな前進に繋がるという考え方だ。ノロウイルスを対象とした今回の研究では、「見えない奴」の伝播経路という「本質」を捉えることができた。

捉えることのできた「本質」が増えることが、花王の衛生研究を前進させることなる。その先には、清潔で健康な社会があることを、横畑氏ら花王の研究者は見据えている。

<主な参照先と参考文献>

●ウイルスの増殖機構について
・藻メディア/藻類ビジネスとスピルリナの情報サイト
https://modia.chitose-bio.com/articles/virus_01/

●ELISAについて
https://ruo.mbl.co.jp/bio/support/method/elisa.html

●ノロウイルスの消毒方法について
https://www.fsc.go.jp/sonota/dokukesi-norovirus.html

● ノロウイルス感染者のウイルス排泄量について
Hoehne, M.; Schreier, E. Detection of Norovirus genogroup I and II by multiplex real time RT PCR using a 3' minor groove binder DNA probe . BMC Infect Dis. 2006, 6, 69.

●手洗いによるノロウイルス除去効果について
Duret, S.; Pouillot, R.; Fanaselle, W.; Papafragkou, E.; Liggans, G.; Williams, L.; Van Doren, JM. Quantitative Risk Assessment of Norovirus Transmission in Food Establishments: Evaluating the Impact of Intervention Strategies and Food Employee Behavior on the Risk Associated with Norovirus in Foods. Risk Anal. 2017, 37(11), 2080-2106.

●指からのノロウイルスの伝播について
Tuladhar, E.; Hazeleger, WC.; Koopmans, M.; Zwietering, MH.; Duizer, E.; Beumer RR. Transfer of noroviruses between fingers and fomites and food products. Int J Food Microbiol. 2013, 167(3), 346-352.


※1 Sato, J.; Miki, M.; Kubota, H.; Hitomi, J.; Tokuda, H.; Todaka-Takai, R.; Katayama, K. Effects of disinfectants against norovirus virus-like particles predict norovirus inactivation. Microbiol Immunol. 2016, 60(9), 609-616.

※2 厚生労働省「ノロウイルスに関するQ&A」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/syokuchu/kanren/yobou/040204-1.html#15

※3 厚生労働省・経済産業省・消費者庁「新型コロナウイルスの消毒・除菌方法について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/syoudoku_00001.html

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