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花王の
よきモノづくりの系譜

古今東西の清浄文化史と
花王のよきモノづくりの変遷をご紹介します。

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生活者のために

「新装花王石鹸」誕生 

1927年(昭和2年)、二代目・長瀬富郎が社長に就任し、「花王石鹸」は新たなスタートを切りました。二代目・長瀬は就任後すぐに欧米を視察。石けん製造法の近代化を推進し、リーズナブルでより良質な石けんづくりに取り組みました。そして1931年(昭和6年)に「新装花王石鹸」として発売。一気に一般家庭にも広まっていきました。
「新装花王石鹸」では、香料に白檀(びゃくだん)、麝香(じゃこう)を使って高級感を演出。さらに、従来品1個28.5匁(もんめ・約107g)から、30.5匁(約114g)に増量しながらも、15銭から10銭に値下げしました。

石けんの製造技術

吾嬬工場内に新設された研究室の様子(1937年)

吾嬬工場内に新設された研究室(1937年)

より高品質な石けんを製造するために、ヨーロッパから最新の設備を輸入しました。
石けんの原料である脂肪酸を精製する装置や、石けんに含まれる水分量が均質化される新しい製造方式を採用し、高品質の石けんを、短時間に大量に生産できるようになりました。

斬新なパッケージデザイン

グラフィックデザイナー原弘デザインの「新装花王石鹸」の包装紙の展示写真

「新装花王石鹸」は包装紙のデザインも画期的でした。当時はまだ珍しかった試作コンクールを実施。第一線で活躍中の有名デザイナーが参加し、試作28点の中から採用したのは、最年少で当時まだ無名だったグラフィックデザイナー原弘(はら・ひろむ)※の作品でした。
このパッケージに使用した色は「花王赤」と呼ばれるシンボルカラーとなり、以後約20年にわたり親しまれました。

※原弘(はら・ひろむ)
1903年〜1986年。昭和に活躍したグラフィックデザイナー。ポスター、出版物の装丁、商品のパッケージなど数多くの作品を手がけた日本のグラフィック・デザインのパイオニアで、多くの後進を指導し、商業デザインの発展に寄与した。


先進的なマーケティング術

二代目・長瀬富郎が写る写真

二代目・長瀬富郎 (前列左)

「新装花王石鹸」発売にあたっては、販売中だった旧花王石鹸をすべて新製品に取り替えるという大胆な販売方法をとりました。また、発売前に新聞の1面に広告を掲載するなど、広告宣伝手法も斬新でした。こうした販売戦略が当たって、「新装花王石鹸」は大ヒット。二代目の経営手腕によって花王は大きく前進しました。    

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