古今東西の清浄文化史と
花王のよきモノづくりの変遷をご紹介します。
古代の人びとにとって、水のほとりは清浄な沐浴の場でした。
からだを清潔にするとともに、精神的なすがすがしさを感じる聖なる場所でもありました。
やがて大きな川の流域に人びとが集まり住むようになると、そこに都市が生まれ、清潔で快適に暮らすための知恵が編み出されて文明が発達します。まさに水は、人類にとって文明の泉でした。
一日の終わりに、お風呂で体を洗い、温かなお湯でリラックス。身も心もきれいになって心豊かに感じる「清浄」のひとときです。花王は創立以来、この「清浄」の精神を大切にしてきました。
では、人はいつから石けんを使い、いつからお風呂に入るようになったのでしょうか。清浄のルーツをたどっていくと、それは古代文明までさかのぼります。花王のルーツを清浄の歴史とともにひもといてみましょう。
古代メソポタミア・シュメール文明の遺跡から発掘された粘土板には石けんの記録が刻まれています。この時代の石けんは洗浄剤だけではなく、外用薬としても用いられていたようです。
古代エジプトの墳墓の壁画には洗たくする人々の姿が描かれています。古代人は洗浄料に植物の灰汁(あく)やアルカリ性の鉱物、酸性の土、砂などを利用していました。
古代ローマ・ポンペイの遺跡からはクリーニング工房の建物が発掘されています。洗浄料として、尿を腐らせてできるアンモニアも利用していました。
古代ローマの都市には「テルマエ」と呼ばれる公衆浴場が数多く作られました。ジムや図書館、食堂なども備えた、市民にとっての娯楽施設でした。
日本の入浴文化は、川や滝で身を清める神道の儀式から始まったとされています。日本では古来、「みそぎ」「はらい」などの心身の清めの儀式が行われてきました。お風呂の歴史をたどると日本人の清浄観が見えてきます。
八瀬の釜風呂
約1400年前、飛鳥時代の京都・八瀬にあったとされる日本最古のお風呂は、お湯に浸かるのではなく、サウナのような釜風呂でした。身を清めたり、傷を癒やしたりするために利用されていました。
寺院の施浴
仏教の教えでは身や心を浄めるために沐浴をすることが功徳の一つとされるため、寺院には大きな浴堂が設けられ、病気や貧しい人々にも「施浴」として開放しました。
江戸の銭湯
17世紀、江戸時代になると、「町ごとに銭湯あり」といわれるほど銭湯が普及します。武士も町人も利用した銭湯は、社交場であり娯楽の場であるとともに、大切な情報交換の場でもありました。
日本では平安時代から、洗たくや洗顔に天然の洗浄料が使われていました。
「ムクロジ」や「サイカチ」という植物には天然の界面活性剤「サポニン」が含まれていて、水に浸して揉むとブクブクと泡立ちます。人々はこれをまさに石けんのように利用していました。
肌を白くし、シミをなくす効用があるといわれている「うぐいすの糞」も、洗顔料として珍重されました。糞の中に含まれるたんぱく質と脂肪の分解酵素が、色白効果をもたらすとされています。
※イラストはすべてイメージです。