近年、開発のあり方として脚光を浴びている「オープンイノベーション」。
実は、花王では昔からオープンイノベーション的な開発体制をとってきたことをご存じだろうか。
今回クローズアップする花王の「包装技術研究所」でも、この体制を生かして、
暮らしを変えるさまざまな革新を包装容器にもたらしてきた。
包装容器にはいくつもの役割がある。いちばん重要なのは中身を保護すること。
効率よく運べることや、成分や使い方を表示してユーザーに伝えることに加え、
万人の使いやすさを追求したUD(ユニバーサルデザイン)の実現や、
環境に配慮した設計も求められる。
「包装容器への花王のこだわりは、専門部署ができる以前にまでさかのぼります」そう語るのは、
包装技術研究所所長の稲川義則だ。
例えば1957年に発売された粉末の「フェザーシャンプー」にも、使いやすさを追求した細やかな配慮があった。
防湿性のある個包装で、ぬれた手でも簡単に開けることができる。
端を折ればピンチで留めなくても折った状態のまま保たれ、使いかけでもしばらくは湿気を防ぐことができる設計だった。
そうしたこだわりの延長線上に、まず1968年「包装技術部」という専門部署がつくられた。
その後、「技術開発部」や「精密加工研究所」など、何度も名称を変えながら包装容器の技術を追求し続けてきたが、
91年に詰め替え容器の開発を行うなど、包装容器への取り組みを拡大。
1995年、現在の「包装技術研究所」の前身である「包装技術開発研究所」が設立されている。
「現在でも、包装容器専門の独立した研究部門があるメーカーは、数少ないと思います」(稲川)
古くから包装容器に並々ならぬ力を注いできた花王。
生活や社会的ニーズの変化、製品の成分・処方の進化に応え、包装容器の新機軸を次々に打ち出してきた。
なかには包装容器の常識を変えたものもある。
粉末洗剤を振り出す大箱から一気にコンパクト化すると同時に、
上ぶたを開けてスプーンで洗剤をすくう形に変えた「アタック」。
目の不自由な人でもシャンプーとリンスの違いがわかるよう「きざみ」を入れた容器は、
花王が実用新案の申請を取り下げて業界に統一を呼びかけたことで、スタンダードになった。
詰め替え容器「ラクラクecoパック」は、
それまで詰め替え容器の使い勝手に「91%が不満」を感じていた状況を、「96%が満足」へと塗り替えた。
また、片手でヘッドをポン!と押せば
手のひらに花の形のせっけんフォームがスタンプされる「ビオレu 泡スタンプハンドソープ」は、
子どもたちが率先して手を洗う生活習慣をつくった。
気になるのが、次々に革新をもたらしてきた活力の源泉だ。
花王の代表取締役専務執行役員、長谷部佳宏が
「イノベーションを生み出す上で最も大事なものは、人である」と述べているように、
技術そのものよりも、技術を生み出す研究者、
すなわち「人」の場づくりに注力してきたのが花王のカルチャー。
花王ほどの大企業がイノベーションを起こすために、社内でどのような取り組みを行っているのか。
社内で行われているあらゆる研究内容を、所属部門にかかわらず、
全研究員が自在に閲覧できる仕組みがあったり、
毎月100人以上の研究者が集結して議論する、
月に一度の「I -マトリックス会議」という有志の勉強会も“花王らしさ”のひとつ。
こうした部門を超えたコラボレーションや技術の連携を生み出す場が、
花王らしいイノベーションの礎となっているのだろう。
その花王らしさのもたらすものは、日用品を製造するメーカーならではの、
お客様のニーズや目線を常に意識する姿勢だと感じる。
さらにそのニーズや社会的課題を中心に据え、社内の部署はもちろん社外の協力企業も含め、
互いの専門性を生かし協力し合って開発を進める、
オープンイノベーション的な開発体制が根付いていることに驚く。
研究者と作成部門のデザイナーはもちろん、生産工場とも検討を重ね、
さらに包装材料などのメーカーとやりとりしながら、提案も受けて開発を進めていく。
「外部を含めて、全員で同じゴールを目指します」と稲川。
オープンイノベーションは、開かれた企業風土を必要とし、また逆に培ってもいくものだ。
包装技術研究所は、洗剤やトイレタリー、ヘアケアやヘルスケアも……と、
全部門にわたって横串的に関わる花王の中でも珍しい存在だ。
そうした立ち位置ゆえだろうか、「全社にオープンイノベーション的な開発体制を敷く花王の中でも、
とりわけ年齢や立場を超えて意見交換したり協力し合ったりできる、フラットで風通しのいい雰囲気が強い」
と稲川が言う。
手がける包装容器は数えきれないほど多岐にわたるため、
包装容器メーカーなど、協力企業との連携も必須だ。
専門メーカーのノウハウや提案を活用できることに加え、ただ単に外部に発注するのとは異なり、
技術の研鑽(けんさん)を重ねてきた包装技術研究所が主導することで生まれる強みは計り知れない。
包装技術研究所が主導することの何よりの強みは、
製品の歴史でも紹介しているような「新しいコンセプト」を生み出せることにある。
それを可能にしているのは、
一つにはコンセプトから違うものを生み出すために必要な、多くの経験と高い技術力の蓄積があること。
そして、製品の処方や、事業部を通じてお客様がどういう使い方をするのか、
どんな声や要望、ニーズがあるのかを熟知していることだ。
「オープンイノベーションでは、まずコンセプトをつくることが重要です」と稲川は言う。
確固としたコンセプトがあるからこそ、社内の各部門はもちろん、外部のメーカーも含めて思いを一つにしてゴールを目指す、
オープンイノベーション的体制も生きてくるという。
さらに、容器の「きざみ」に代表される社会的な課題に対する感度の高さも見逃せない。
「社会と関係性を見いだすコンセプトづくりが特徴的だと思います」と、
パッケージ作成部のデザインソリューション担当部長、木嵜日出郷は語っている。
コンセプトごと容器を変えた最も新しいケースが、
いま大きな話題を呼んでいるアタックZEROの「ワンハンドプッシュ」だ。
レバーをひと押しすれば、ノズルから5gの洗剤が飛び出る。
これまでのようにいちいちキャップを開けて量って、洗濯機に投入──という手間は不要だ。
しかも片手で扱えるので赤ちゃんを抱いていても操作でき、
洗濯物の量に合わせてプッシュ回数を2回、3回と変えるだけでいい。
もともとは、アタックZEROの前モデル、アタックNEOの容器の見直しの取り組みとして開発が始まったという。
目指したのは、UDの実現。握力の弱くなったお年寄りや子どもでも簡単で楽に使え、
洗濯に慣れていない人でも直感的に計量できるなど、さまざまな生活者にとっての「使いやすい」を実現させた。
アタックNEOは洗浄力が高く、少量で洗える高濃縮液体洗剤だが、開発事業部が実態調査をすると、
容器がコンパクトであるがゆえに計量キャップの目盛りが見づらく、こぼしたり、出しすぎてまたボトルに戻したり、
使いづらいという声があった。
その点、ワンハンドプッシュは洗濯や計量に慣れていない人でも使いやすい。
ワンハンドプッシュを完成させた包装技術研究所の湯田彩香によれば、
「私が入社した2014年に、キャップではない方式の研究がすでにスタートしていて、いくつかあった中から
『どれがいい?』と聞かれて迷わず選んだのが、この形式でした」
簡単に一定量の洗剤が出ることに「すごい!」と感動し、
「自分だったらこれを使いたい」と思った湯田は、さっそく開発を進めた。
梃子(てこ)の原理を利用して、どうすれば軽くひと押しするだけで洗剤を出せるかを追い求め、
「これは」というモデルを事業部にプレゼンする。
しかし熱い思いに反して、なぜか反応は鈍い。
ならばと実施した、モニターへのアンケート調査でも同様で、窮した湯田は自分の母親に使ってもらって意見を聞いた。
すると、「洗剤が勢いよく出すぎて、怖い」との反応。
軽い力で出せることを追求したことが、裏目に出ていたのだ。
「ちょうどいい押し加減、出加減がある。
それを探すのに取り組んでから1年ぐらいかかりました」(湯田)
再度チャンスをくださいと、事業部に再プレゼンしたころから
「これはいけるかも」と周囲の風向きが変わり始めたという。
このころから、作成部門のクリエイティブディレクターの藤波進が開発に加わった。
湯田とキャッチボールを重ねながら、実際のデザインを詰めていく。
「レバー部分を人さし指で押すもの、洗濯ばさみのように親指と人さし指で挟むもの、採用された親指で押すものの
3タイプを試作し、絞り込んでいきました」(藤波)
やはりポイントになるのは、ヘッド部分。
部品数も多く、落としたぐらいでは壊れない強度が必要だが、環境への配慮からプラスチックの量は極力減らしたい。
ギリギリのところで両立できる形状を見極めながら、洗濯機に投入するときだけでなく、
容器を傾けて汚れに直接塗布するときの使い勝手、安定性などを考え、UDを追求したデザインを詰めていく。
事業部とも検討を重ね、家庭で使ってもらって意見を聞き、容器製造メーカーともやりとりを重ねていった。
そんななかで、アタックNEOを新しい界面活性剤、バイオIOSを使った新洗剤、アタックZEROに代えることが決まり、
その容器としてワンハンドプッシュが採用された。
素材や加工プロセスなどの研究部門、事業部、生産部門など、
多くの部署が協力し合うエポックメイキングなプロジェクトのうねりに合流することになったのだ。
木嵜は当時をこう振り返る。
「主要メンバーだけで200人以上もの人々が関わり、誰もが強い思い入れやこだわりのある大事業。
それぞれに譲れない部分があって、誰の意見を反映させてそのためにどこを妥協できるのか、
まとめるのが大変だったと思います」
「開発で大変なのは社内説得です。それがコンセプトから変えるものであればあるほど難しい。
製造ラインも含めて、たくさんの知恵やコストをつぎ込んできた既存のものを捨てなければなりませんから。
でも、本当にいいものだと信じてあきらめずに説き続ければ、賛同者は現れるものです」
と言うのは稲川だ。
花王のように、オープンイノベーション的な体制が根付いた組織でもそうなのかと意外だったが、
積み上げてきた既存のものへの自信や自負が大きいからこそ、刷新のハードルも高いのだろう。
良さを信じて追求し続けてきたワンハンドプッシュ。
初めての仕事が一大プロジェクトに採用されたのは、本当にラッキーだったと湯田は言う。
「研究所には『この技術ならこの人』という、すぐれたノウハウをもつ方々がたくさんいる上に、
オープンでフラット、気軽に話したり助言を求められる雰囲気があります。
環境に恵まれて開発を成し遂げることができ、感謝しています」
コンセプトから変える革新的な開発が可能なのは、
こうした体制や環境、長年にわたる経験と技術の積み重ねがあるからだ。
開発では、単に使い勝手にすぐれた品質だけでなく、
安全性や環境への配慮、コストも追求していかなければならない。
稲川の言葉を借りれば、「崖のギリギリのところを歩くように」して、お客様のニーズと生産体制を両立。
包装容器において数々のイノベーションを生み出してきた。
もちろん、失敗もある。「失敗は大切。失敗があるから人は成長する」と稲川は言うが、
やはり対策も必要だと、「予知予防集」と銘打って失敗事例を集めた文書を作り、経験を共有している。
今年からは、キャリア10年以下のスタッフを月1回集めて、勉強会も開いているという。
湯田にとっていちばんうれしいのは、やはりユーザーの喜びの声を聞くこと。
「生活者コミュニケーションセンターに寄せられた、『洗濯が楽しくなった』という声がとてもうれしい。
私の家でも、夫が進んで洗濯するようになりました。
でも、『なんでこういうものが今までなかったのかな』って言われても困りますよね(笑)」
稲川によれば、盛り込まれたさまざまな工夫や新機軸を気づかせることなく、
「当たり前」のものになることが、包装容器の理想だという。
ワンハンドプッシュは、またひとつ花王の歴史に加わった包装容器の新常識。
今後もさまざまに活用され、なかった昔が不思議に思える当たり前の存在として、
新しい暮らしを拓いていくことだろう。
(制作:NewsPicks Brand Design 執筆:西上原三千代 編集:奈良岡崇子 撮影:大畑陽子 デザイン:九喜洋介)