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【特集:泡】

汚れを味方に? 肌にやさしい“賢すぎる洗浄剤”の正体

「できっこない」を覆す研究員の底力(後編)

  • 2019.12.04  Text by 堀川晃菜

ブルーバックス

顔を洗い、手を洗い、お皿を洗い、体を洗う。一日の生活で洗浄剤を使わない日はないといっても過言ではない。衛生的な生活を送る上で欠かすことのできない洗浄剤だが、使い続けるものだけに、肌への負担も気にかかる。

「洗浄力」と「肌へのやさしさ」は両立できない。強力な洗浄剤を使えば手が荒れるものだ、というふうに、何十年もの間、この両者を同時に満たすことは不可能な「壁」だと言われてきた。だが、近年この巨大な岩を動かすことに成功した研究者がいる。花王マテリアルサイエンス研究所の坂井隆也氏だ。

坂井氏が率いる研究グループは、これまで独自に培った技術を武器に、界面活性剤のポテンシャルを引き出してきた。「泡立ち」「泡持ち」「泡質」「泡切れ」という4つの視点から、泡立ちやすく、長持ち、そして“フワフワ”や“クリーミー”といった質感もコントロール。それでいて、サッと流せる。そんなオーダーメイドな「泡」を次々と実現してきた。

(下の動画は、さまざまな泡をコントロールすることで描かれた作品。遊び心と技術力が融合すると、こんなことができてしまう!)

花王 【特集 泡】 泡ってふしぎ 「いつも何気なく触れているけど、泡には不思議と工夫がいっぱい」

はたして、坂井氏はいかにして不可能と言われ続けた壁を乗り越えることができたのか。

そもそも、なぜ界面活性剤は悪者扱いされるのか?

界面活性剤は油と水の両方にくっつく両親媒性の分子。油汚れと水を一緒に洗い流すことができる。だが一方で、我々の肌にも油分と水分がある。

そのため、皮膚に吸着した界面活性剤が、「保湿」と「バリア」の役割を担う角層に侵入すると、角層を膨潤させてしまう(界面活性剤の溶液が浸透することで角層の体積が増加)。すると、うるおいを保持する天然の保湿成分の流出を招き、これが結果的に肌のターンオーバー(角層の生まれ変わり)に悪影響を及ぼす可能性があるのだ。

ならば直接、洗剤に触れないようにすればいい。皿を洗う時にはゴム手袋をして、衣類を洗う際には、洗濯機にお任せすれば大丈夫。しかし、そういうわけにもいかないのが、自分の体を洗う時だ。極端だが「洗わない」という選択肢はどうか?

実は、それはそれで問題がある。皮脂腺から分泌された脂質(皮脂)が徐々に分解してできる「皮脂汚れ」には、肌に刺激を与える成分も含まれるからだ。てかり、べたつき、にきびなど過剰な皮脂による悪影響に悩まされる人も多い。肌を守りながら、汚れはきちんと落とすことはできないのか?

「洗浄力と肌への低刺激性の両立は、皮膚洗浄における永遠の課題と言われてきました。このトレードオフに対して、今までどうしてきたかというと、皮膚刺激の低い界面活性剤を新たに開発するか、配合量を下げて対応するしかない、という考え方が1980年代からずっと主流でした。でも、そこを何とかしたかった」

そう話す坂井氏は、物理と化学の両面からこの難題にアプローチし、見事に壁を突破した。このとき「物理」の面で武器となったのが、前編の最後に紹介した「油を自発的に吸引する泡」だ。

坂井 隆也氏の写真

  • 【写真】プロフィール
    坂井 隆也(さかい たかや)花王株式会社 マテリアルサイエンス研究所 主席研究員。工学博士。1992年 花王(株)に入社。素材研究所(現マテリアルサイエンス研究所)において、機能性界面活性剤の分子設計、工業的製法の開発、機能探索、作用機序の解析など多岐にわたり界面活性剤の研究・開発に従事。

「油を吸い込む泡」は肌にやさしいのか?

坂井氏の研究グループが発見したのは「空気を84%以上含んだ高密度な泡が油を自発的に吸引する」という事実(2013年に論文報告し、2017年に理論的な証明を果たしている)。なんと「泡の立て方」を変えただけで、洗浄力を高めることができたのだ。

今でこそ「泡で汚れを落とす」ことは当然のように受け入れられているが、ほんの数年前までは単なるイメージに過ぎなかった。「泡は洗浄力に直接関係しない」という従来の定説を覆したのが、高密度な泡による吸引力の発見だった。

花王 【特集 泡】 油を吸う泡

  • 【動画】気相率84%の境界前後において泡が油を吸い込む現象の比較動画

では、肌への影響はどうか。坂井氏らは、同じ界面活性剤で泡立てる時間だけを5秒、15秒、2分と変え、3パターンの泡をつくった。

それぞれの泡を腕に1分間のせてすすいだ後、肌にテープを貼り、肌に残っていた界面活性剤の量を調べた。その結果、きめ細かい泡ほど(泡立て時間が長いほど)皮膚に「収着」する量が大幅に減少することが示された。「収着」とは「吸着」と「吸収」が同時に起こることで、界面活性剤の分子が肌にくっつくと同時に角層へ浸透する現象を指している。

さらに、同じく3パターンの泡をメッシュの上に1分間静置した実験では、メッシュの下に流れ落ちる界面活性剤の液量を調べた。この排液も、泡がきめ細かくなるほど少なかった。つまり、きめ細かい泡は、その吸引力によって(油汚れを吸うだけでなく)界面活性剤自体を保持していると考えられている。

キメの細かい泡には、肌の角層に界面活性剤がくっつく量を抑えるはたらきもある。

キメの細かい泡には、肌の角層に界面活性剤がくっつく量を抑えるはたらきもある。

キメの細かい泡には、肌の角層に界面活性剤がくっつく量を抑えるはたらきもある。

  • 【図】界面活性剤の泡の密度によって皮膚への影響に差が出ることを示した実験結果。泡立て時間が長いほど、高密度できめ細かい泡となり、肌に収着する界面活性剤の量も低減。

「これまでは低刺激性の成分を配合することで肌へのやさしさを謳う洗浄剤が多かったのですが、これは界面活性剤の種類ではなく“泡質”だけで性能を変えるという、まったく新しい発想です」と坂井氏。

界面活性剤の化学的な性質を変えることなく、その量を増やすでもなく、「泡立てる」という物理的なエネルギーを利用して、高い洗浄力と肌への負担低減が両立されている。しかも、そのエネルギーの出所は、私たち自身がポンプボトルをワンプッシュする動作なのだから、まさしく“エコ”だ。一石三鳥の大発見といえる。

ところが、これで終わらないのが化学メーカーの看板を背負う坂井氏の底力。さらに高いレベルで、洗浄力と肌へのやさしさを両立すべく「新しい界面活性剤をつくる」という真っ向勝負に出ていた。

“汚れだけに”作用させるのは不可能?

冒頭でも触れた通り、界面活性剤の功罪は「肌に吸着し、角質層に浸透」(収着)してしまうことにある。通常、界面活性剤の分子は、親水基を外側に向けて、新油基を内側に向けた「ミセル」という集合体を形成することで洗浄効果を発揮する(界面活性剤が油汚れを落とすメカニズムは前編で詳しく紹介しています)。

このミセルは、界面活性剤が水に溶ける限界を超えた時に形成される。つまり水に溶けきれなかった過剰な分子が集まってミセルになる。同時にミセルの構成員にはならず、単独で存在する一分子(モノマー)も必ず存在する。この単独行動をとる分子が肌に収着してしまうのだ。
ならば、と坂井氏は「皮脂汚れだけに作用」して「肌に収着しない」ようにできないかと考えた。だが、それを口にすると、「そりゃそうだけどさ……無理に決まっているでしょ」と言われてしまった。それぐらい夢物語のような話だったのだ。

そこで坂井氏が目を付けたのが、皮脂汚れの中でも「液体脂」と呼ばれるものだ。皮脂汚れは「固体脂」を「液体脂」が包み込むように複合体を形成している。固体脂はなかなか手ごわく、摩擦の力(こすり洗い)でなければ落とせないような相手だ。一方で、液体脂は流動性があり、比較的落ちやすい。


「まず液体脂だけにはたらいて、液体脂を洗浄成分に変える。汚れ自体を洗浄剤にしてしまえば、汚れが勝手に崩壊する、強くこすらなくても固体脂まで落とせるようになるのではと思ったわけです」(坂井氏)。

従来の界面活性剤は、汚れだけでなく角層にも収着(吸着・浸透)してしまう。

  • 【図】皮脂汚れの状態と従来の界面活性剤の分子の動きを示している。界面活性剤の分子は、汚れだけでなく角層にも収着(吸着・浸透)してしまう。

汚れが洗浄成分に変身? 巧みな洗浄メカニズム

「汚れを洗浄剤にする? いや、ちょっと、何を仰っているのか分かりません……」という方も、まずはこちらの動画をご覧いただき、ぜひ下の図でメカニズムを一緒に追ってみてほしい。

花王 【特集 泡】 汚れを味方につける洗浄剤 その1

  • 【動画】ECの皮膚洗浄(界面活性剤の接触した部分から皮脂(黄色い部分)が白くなっていき、最終的にはかたまっていた固体脂が動く)

まず液体脂の正体は何かというと、オレイン酸やパルミトオレイン酸などの脂肪酸だ。脂肪酸には、界面活性剤と同じように「疎水基」(親油基)と「親水基」がある。そして、形状の似た脂肪酸分子同士では、疎水基、親水基それぞれの間に相互作用が働いて、会合体をつくることが知られていた。

会合体とは、化学結合よりも弱い分子間力によって分子が集合したもので、その数により二量体、三量体と呼ばれる。この場合は2つの分子の集合体になるので、二量体だ。つまり液体脂(オレイン酸)にそっくりな界面活性剤の分子を設計できれば、よりいっそう、液体脂にくっつきやすくなる。

「液体脂が大好き!」な界面活性剤ならば、そちらへ行ってくれるので、その分、角層への収着は抑えられるというわけだ。

新開発の界面活性剤ECは汚れの中でも液体状の皮脂成分に積極的にくっついてラメラ液晶を形成する。

  • 【図】ECの洗浄メカニズムStep1。新たに開発された界面活性剤(EC)は汚れの中でも液体脂に積極的にくっつく。

オレイン酸のそっくりさん(この界面活性剤を「EC」と呼ぶ)は、さらに水を引き連れて液体脂の内部へと入り込んでゆく(はじめは液体脂の表面に付近にあるオレイン酸と二量体を形成することになるが、液体脂には流動性があるので、次第に内部のオレイン酸にも作用していく。それに伴い水分子も侵入する)。

皮脂成分と一体になったECは周辺の水分子を汚れの中に引き込んでいく。

  • 【図】EC洗浄メカニズムStep2。ECは親水性を維持しているため、皮脂汚れの中に周辺の水を引き込んでいく。

こうして皮脂汚れの内部へと潜入していった界面活性剤(EC)はついに王手をかける。本来は敵であったはずの液体脂(オレイン酸)とともに、「ラメラ液晶」を形成するのだ(これを「液晶乳化」現象と呼ぶ)。「ラメラ液晶」とは、水-脂質-水-脂質…と交互に並ぶ構造のことで、皮脂汚れの複合体の中で、同時多発的にラメラ液晶が形成され、水が流れ込むことで、ラメラ液晶を境目に汚れが崩壊する。

ECと一体化してラメラ液晶になった汚れは、水を引き込むと自発的に崩壊していく。

  • 【図】ECの洗浄メカニズムStep3, Step4。水と油(ECと液体脂)によって、ラメラ液晶がつくられる。これが境界面となり、すすぎの水でヒビが入るようにして皮脂汚れが崩壊する。

役立たずのレッテルを貼られていた“逸材”

ただし、EC以外の界面活性剤がラメラ構造をつくらないということではない。ミセル構造をとるのか、ラメラ構造をとるのかは、界面活性剤の分子構造とその濃度によって決まる。

また、オレイン酸がなくとも、多くの界面活性剤が高濃度(20~50%程度)でラメラ構造をとることが知られているが、このECの特徴は、オレイン酸を取り込みながら0.5% という低濃度でラメラ構造を形成できる点にある。汚れであったオレイン酸がECと共にラメラ構造をとることで、界面活性剤に役割を変えるのだ。これもまた洗浄成分の量自体を減らすことにつながる“エコ”だと言える。

もちろん、オレイン酸に対する親和性の高さが、その分「肌への収着量を抑える」ことも忘れてはならない。これが「汚れを利用して」「汚れの中に洗浄剤をつくる」という大胆発想の全貌だ。

ちなみに、界面活性剤「EC」は「アルキルエーテルカルボキシレート」(AEC。本稿では略してEC)という物質。これ自体はまったく新しいものではなく、実は、低刺激性の界面活性剤として、昔から広く使用されている。

ただ、「私たち界面科学者にとっては、マイルドだけれども、泡も経たないし、洗浄力も低いという位置づけでした」。坂井氏らは、その分子構造を改良することでポテンシャルを引き出し“賢い界面活性剤”へと生まれ変わらせたのだ。

EC、つまりエーテルカルボキシレートは特殊な親水基のはたらきで、液体状の皮脂と二量体、つまり一対一のペア構造を作る。

  • 【図】アルキルエーテルカルボキシレート(EC)の分子設計ポイント。EC(緑色)と液体脂の成分オレイン酸(赤色)で二量体を形成する。

たしかな成果の積み重ねが、新たな価値を生み出していく

こうして、『汚れを味方につける賢すぎる肌洗浄技術』が完成した。肌を強くこすらずに汚れをきれいに落とす様子は、この動画で一目瞭然だ。

花王 【特集 泡】 汚れを味方につける洗浄剤 その2

  • 【動画】EC水溶液が皮脂汚れ(黒色に着色)を落とす様子。

これまで不可能とされてきたことに挑み続け、いまや界面化学の専門家として社内外に広く知られる坂井氏だが、もともと界面化学に詳しかったわけではない。1992年の入社当初は、教科書を1ページずつめくりながら試行錯誤を繰り返していたという。現在に至るまでにさまざまな困難があったことは想像に難くない。

しかし今回のインタビューで坂井氏はその苦労を微塵も感じさせず、実にたのしそうに「泡」について語ってくれた。まさに「泡」に魅せられた研究員の姿がそこにはあった。

「自分がやってきたことがダイレクトに人の役に立つって、やっぱり嬉しいですよ。“泡”をうまく使うことで、洗浄剤の効果を最大限に引き出すことができれば、より少ない量で機能を発揮できます。化学物質の使用量を削減できれば、環境負荷を減らすことにもつながります。肌にもやさしく、環境にもやさしい。泡の研究でノーベル賞はとれないでしょうけど、“泡”の中には僕の夢が詰まっているんです」

坂井 隆也氏の写真

泡ってふしぎ。泡っておもしろい──この純粋で、たゆまぬ探究心が、ものづくりの根幹を支えている。

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<参考文献一覧>

「賢い界面活性剤」(EC)について

Sakai, T.; Ikoshi, R.; Toshida, N.; Kagaya, M. Thermodynamically Stable Vesicle Formation and Vesicle-to-Micelle Transition of Single-Tailed Anionic Surfactant in Water. J. Phys. Chem. B  2013, 117, 5081 – 5089.

Takagi, Y.; Shimizu, M.; Morokuma, Y.; Miyaki, M.; Kiba, A.; Matsuo, K.; Isoda, K.; Mizutani, H. A new formula for a mild body cleanser: sodium laureth sulphate supplemented with sodium laureth carboxylate and lauryl glucoside. Int. J. Cosmet. Sci., 2014, 36, 305–311.

Yokoi, A.; Endo, K.; Ozawa, T.; Miyaki, M.; Matsuo, K.; Nozawa, K.; Manabe, M.; Takagi, Y.  A cleanser based on sodium laureth carboxylate and alkylcarboxylates washes facial sebum well but does not induce dry skin. J. Cosmet. Dermatol., 2014, 13, 245—252.

Ozawa, T.; Endo, K.; Masui, T.; Miyaki, M.; Matsuo, K.; Yamada, S.; Advantage of Sodium Polyoxyethylene Lauryl Ether Carboxylate as a Mild Cleansing Agent. J. Surfact. Deterg. 2016, 19, 785–794.

Endo, K.; Ozawa, T.; Masui, T.; Ichihashi, T.; Yanagawa, K.; Miyaki, M.; Matsuo, K.; Yamada, S.; J. Surfact. Deterg., 2018, 21, 777–788.

加賀谷 真理子 「弱酸性界面活性剤と極性脂との相互作用を利用した皮脂の自発洗浄システム」科学と工業, 2017, 91, 158-162.

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